Let's Get Lost

僕に力をくれ、もっと強くなってみせるから

千種創一『千夜曳獏』

『砂丘律』ですっかり魅せられた千種創一の新刊。発売の知らせを本人のツイッターで見て、その日のうちにAmazonで予約をしたものの、発売日から一週間経っても手元に届かず、在庫も表示されないまま。倉庫には入荷されているはずなのになぜか反映されないとのことで、どうやらこの時世で処理が滞っている様子。せっかく予約したことだし気長に待とうと思っていたけれど、本屋とかで先に手に入れたひとのツイートを頻繁に見かけるようになって、羨ましさを募らせていた。そういうツイートのひとつに、「版元に直接注文したらすぐに対応してくれた」というのがあり、それならばと予約はキャンセルして、青磁社にメールをした。1時間も経たないうちに返事が来て、住所を伝えたらその日のうちに発送してくれた。週明け、郵便受けを覗いて青磁色の封筒が投函されているのを認めたときの、ああいう胸の高鳴りをいくつになっても大事にできたらいい。

短歌集を読む時間というのは、内省の時間に近い。だから、焦燥感に苛まれているときには読みたくない。心が凪いでいるときじゃないと、31文字なんて視線が滑って終わりだからだ。言葉の短い連なりをつかまえて、解釈して、心の中に描き出してみる。歌と歌のあいだの空白に、自分の風景が、感情がうかぶ。鏡のようでもあるし、会話のようでもあるなと思う。小説よりも短歌を読むことを好むようになったのは、体力がなくなってきているんだと思っていたけれど、たぶん、他者の作品でありながら、そのあいまに私が存在できる余地があるのが嬉しいのかもしれない。ゆるされているような感じがする。もっと自分のことについて考える時間が長かった頃は違ったけれど、今の私が私と向き合うためには手助けが必要で、短歌がその役割を担っているような気がする。

千種創一の短歌は、ふしぎな空気をまとっている。そこに描写された風景は、まるで自分が見たかのようにありありと描き出せるのに、すごく鮮明なのに、たぶん千種創一自身が描こうとしたものとはぜんぜん違うんだろうなという確信もある。 色彩だけじゃなく匂いまで感じとることができるのに、その匂いには馴染みがない。知っているのに、知らない。近いのに、遠い。同じ方向を向いているのに、違うものを見ている。向かい合っていても視線が合わない、そういうさみしさが、彼の詠む歌には滲んでいる。

いまの私の10選。たぶん、夏が終わったころに選んだらまた違う顔ぶれになるんだろう。

どうやっても悔やむであろうこの夏をふたりで生きる、花を撮りつつ
峠からみれば豪雨は天と地をつなぐかなしい柱 都よ
点けないで。月でいいから。 ブラインドずらすため伸びてく腕、僕の
駅前に来て手をほどく、ほどかれる、朝日は正しすぎる暴力
ことばとは思索の花弁 浅はかな桔梗を銀の網棚へ上げ
このアカウントは存在しません 桃は剝くとしばらく手から香るから好き
感情があなたへ流れていくときの中洲に鷺は立ち尽くすのみ
選ぶとは捨てること、じゃないだろう。夜、駅は舞台のように明るい
火。陽。日。正しい漢字を選びつつ老いていくことすごく正しい
雨季の庭に細いきのこがあるようなあなたの愛しい誤字を見つける

雨の匂いが濃い歌集だった。呼吸が深くなった。

無題

知らない番組に出演していたひとが亡くなったという知らせを見かけた。それにまつわるすべてがグロテスクだった。ハッシュタグがくっついた哀悼の言葉、「一番好きだったのに」とか「そこまで好きじゃなかったけど」とか好意の程度が付加された哀悼の言葉、哀悼の意と見せかけた自分語り、血走った目で犯人を叩きのめそうとする正義のひとびと、ぜんぶ気持ち悪い。

周囲でも見ていた人は少なくなかった。日頃嫌悪を示す範囲が似ている人でも楽しんでいるのは知っていたので、食わず嫌いなだけで、案外見てみたら自分も楽しめるのかもしれないと考えたこともあるけれど、けっきょく拒否感が勝った。バスに乗り込んで旅をする番組にしても、ひとりの高スペック男性を十数人の女性で奪い合う番組にしてもそうだけど、倫理的に正しくないと感じているし、ああいうものを面白いといえる人間になりたくない。あくまで私にとっての倫理観の表明なので、他者について糾弾する意図ではないです。

実在する人間の人生を、画面の外から面白がるというその構図は、ものすごく暴力的でグロテスクだ。アイドルを消費する立場だからこそ、その不均衡については考えざるを得ない。音楽やパフォーマンスだけではなく、存在そのものをコンテンツとして消費するからだ。それでもファンと彼らの関係を維持できる砦は、彼らが職業としてアイドルをやっているというところにあると思う。私が消費する彼らはある種の創作であり偶像であって、彼ら自身ではないし、そのことに、ファンも、彼ら自身も救いを見いだせると思っている。でも、素人恋愛バラエティに出演する「素人」は、そうじゃない。台本も脚本も創作もない(ということにしている)生身の人間がそのままコンテンツになること、それってものすごくおそろしいことに思える。(もちろん、アイドルであっても、その偶像と自身の境界がとても曖昧であるために苦しむことがあるのも現実だし、そこを軽視したいわけではない)

エンターテイメントというのは、人を楽しませるために人が創意工夫を凝らしたもののことをいうのであってほしい。それがお笑いだったり、音楽だったり、演劇だったり、映画だったり、小説だったりする。でも、人間の人生そのものが、人を楽しませるために使われるのは、それは、やっぱりゆるしてはいけないもののような気がする。というか、それって創作の放棄であり、エンターテイメントに対する冒涜じゃないか、という気もする。

あの番組の人気が出始めた頃から抱えていた違和感ではあったけれど、ここまで言葉に落とし込んだことはなかった。このタイミングで言うのは後出しジャンケンみたいだし、結果的に彼女に死に意義を持たせようとする行為になってしまうので、生きている者の傲慢だとも思うけれど、ああいう類のコンテンツがなくなることを、ほんとうに、切に望んでいる。

これを言うことが誠実なのかどうかわからないけれど、ご冥福をお祈りします。

愛する手段

最近書かないの、と尋ねられて、自分の文章を待ってくれるひとがいることの嬉しさを久しぶりに感じてちょっと泣きそうになった。創作をしていた頃から、誰かのために書くわけではない、私はいつだって私のためだけに書いている、そういうスタンスを失わないようにずっと意識してきた。誰かのために書こうとしたら、書きたいものを見失ってしまうであろうことも、自己顕示欲に飲まれることもわかっていた。もっともあの頃だって、今ふりかえるとけっこうじゅうぶんに欲に身を侵されていたと思うけれど、自分のために書く、というのをしつこく言い聞かせて、なんとか正気を保っていたような感じだった。だけどそのわずかな正気のせいで、自己顕示欲に塗れていく自分がことさら際立って見えてしまって、それで書けなくなってしまった。私は違う、そう思おうとするほど、ツイッターのフォロワー数に視線が行く自分が苦しかった。フォローありがとうございますなんて意地でも言いたくなくて、そのくせアカウントにはちゃっかり鍵をかけなかった。自家撞着に陥っていることなんて百も承知で、それを認めることができない自分に我慢ならなくなった。いっそ素直にその欲に身を投じていたら、今でも書き続けていただろうか、とも思うけど、そうしてできたものを今読み返して愛せたかと問えば否だから、まあ、なるようになったということなんだろう。でも、はじめはもっと単純なことだったはずなのだ。書くのが楽しかったし、読んでもらえるのが嬉しかった。

愛されたいけれど、愛されるのが怖い。自分の存在が、誰かにとって意味のあるものになることが怖くてたまらなかったし、だから好意を向けられると拒絶してばかりいた。それなのに文章に対する賛辞は素直に受け止めて喜ぶことができたのは、それが作り手である私の存在の肯定でありながら、私そのものではなく文章への肯定にすぎなかったからだ。文章が代わりに愛されてくれたから、自分で直接他者の好意に対峙する必要がなかったのだ。そんなことに今更思い至って、妙に納得している。それはけっして健全な状態ではないけれど、自分の文章を待ってくれるひとがいるというのは嬉しいことだし、嬉しいと思うことまで躍起になって否定することもないかもしれないなと、書かなくなって以来初めて思った。

書くというのは、私にとっては文字通り自分との戦いだった。けっして執筆速度が速い方ではないのは、ひとつの文章を完成させるまでに、百通りもの千通りもの否定や懐疑の声が聞こえていたからだ。自分の書こうとする言葉を疑って疑って疑い抜いて、その声をひとつずつ潰して、やっと納得のいく文章ができあがる。そんなことだから、書くのには膨大な集中力と体力を要する。

働くようになって、まずその体力が奪われた。四六時中仕事のことで気が休まらないから、集中力も落ちた。自分自身に対して批判的な視点を持てなくなって、思考の深度が如実に浅くなった。これじゃまずいと思って何度も書こうと思うのだが、書く持久力が落ちているのだから、自分の感情や思考をつかまえることもできやしないのである。自分のことなのに、わからなくなった。書くことは存在証明だったのに、それができないから、生きているのか自信がなくなりつつある。

先日、久しぶりに自分が書いた作品を読み返して、泣いた。読み返したときに自分を泣かせるような文章は今はもう書けないけど、いっときでも書けた自分が存在したことは、たぶんこれからも私にとっての救いであり続ける。過去の栄光にすがって生きるくらいはゆるしてやってもいいだろう。でも、そればかりだと、この先自分を愛せなくなるときがまた必ず訪れるだろうというのもわかる。だから、やっぱりきちんと文章は公開するようにしようと思う。書けなくなってからも何度も口にした決意だけど、懲りずに、恥ずかしがらずに、また掲げよう。まえみたいに1000人ものひとに読んでもらえるようなことはないけれど、外に出せるクオリティの文章を書き続けることは、何よりも私のために必要なことだ。愛される手段としてではなく、愛する手段として書く、という転換への挑戦をしてみようと思う。

リハビリとしての日記はこっちでも書いています
https://m00nwa1ker.hatenablog.com/

生きているんだ、愛せるか

日頃、あらゆる鎖を自分にかけている。それは自分がどう生きたいかという信念に基づいた、対外的なものである場合もあるけれど(たとえば差別を容認しないだとか、他者を断罪しないだとか)、もっと個人的なものであることが多い。漢字表記にする文字と、ひらがな表記にする文字を使い分けるとか、「この言い回しを使ったら言語化への敗北だ」と思うようなフレーズは使わないだとか、たぶん、他者からは理解できないかもしれない、される必要もない、そういう些細な制約だ。とくに言葉に対しては一定の矜持があるので、こういう細々とした自分への律法がある。
 
鎖と表現したのは、それらが「~する」という意志の形ではなく、「~しない」という否定形をとるからである。私はこれをする人間だ、よりも、私はこれをしない人間だ、のほうが、自分がどういう人間であるかを説明するうえで有用だと思っている節がある。他人もそれで判断することが多いかもしれない。自分に課しているものを、必ずしも守りきれるわけではない。それでも、自分の可動域を狭めていると、自分の輪郭がはっきりするような気がして、安心する。それはつまり、自分で定めた輪郭からはみ出てしまったとき、私は自分のことをゆるせないということでもある。
 
そういう生き方をストイックだとか真面目すぎるだとか評されることもあるけれど、気遣う体で考えすぎだ、というひとを私は信用しない。考えすぎることなどないし、考えないでいるよりもずっと良い。考えて苦しいのと、考えずに楽になるのとだったら、迷いなく前者をとるし、そういう人間でありたい。だけどそれにしたって、もうすこし肩の力を抜く方法を学んだほうがいいのかもしれない、とようやく最近になって思うようになってきた。自分をゆるせる時間があまりにも少なすぎる。自分のその性格のせいで、大事にしたいはずのものまで疎かになっているからだ。そんなのは本末転倒だと思う。
 
5月の連休明けにはじまったプロジェクトは、それはもう目が回るほどの忙しさで、振り落とされないように必死で食いついた。25年半生きて、はじめて、自分がちゃんと頑張れていると思った。でも渾身の力を振り絞るような働き方に、当然持続力なんかあるはずもなかった。6月も半ばになってプロジェクトの折返しに入ってからは、ほとんど燃え尽きて、また頑張れていない自分を責める感覚がじわじわと蝕んでいくようになった。上司は、5月に頑張ったのだからバランスをとっているだけだと私を諭してくれたけれど、やっぱりゆるせない。頑張れない日が1日あると、次の日に2日分頑張らないといけないような気がする。もちろんそんなことはできなくて、2日分どころか、その日も半日分しか頑張れなかったような気がして、そうやって罪悪感の負債が重なっていく。その負債を精算せずに息を抜こうとしても、どうしても怠惰に思えて気が休まらない。だけど負債はあっという間に嵩んで、もうとっくに返済できない。そうでなくたって支払い能力が低いのだ。諦めるだけの豪傑さがあれば、そもそもこんなことにもならないわけで、めそめそしながらそれでも利子を返すのが精一杯、みたいなそんな毎日。
 
だから、アイドルを追いかけるところまで、とてもじゃないけど気持ちがとっておけなかった。それでなくても、だいぶ疲れていた。間断なく流れてくる情報に翻弄されて、その中で彼らのスケジュールを把握したり、自分の都合をつけたり、お金の工面をしたり、申込みをしたり、入金したり、飛行機や宿をとったり、際限なく提供されるコンテンツに目を通したり、もうそういうのに疲れていた。彼らの世界は速すぎて、どんどん置いていかれて、もっと自分の速度で歩きたくなっていた。彼らは私の希望で、光で、だけど気晴らしにそういうものに縋ってみようとしたところで、自分の立っている場所が暗闇であることに変わりはないのだ。その光を手にしたいのなら自分でここから歩き出さなくてはいけないのに、もっと暗闇を味わわないと、前に進む資格すら自分にはないような気がしていた。
 
だから、セブンティーンの新曲も、毎月楽しみにしていた月末のジノのカバー企画も、公開当日に観ることはなかった。もともと、会社員になってからは、カムバックでもなんでも、公開の瞬間に視聴するということはあまりしていなかった。それよりも、その日自分がやるべきことを終わらせて、心を軽くした状態で向き合うことに重心を置いていた。そのほうが彼らの新しい姿で自分をぜんぶ満たすことができるような気がしたし、それが彼らの芸術に対して真摯でいるために自分ができることだという気がしたからだ。だけどそのうち、やるべきことが終わらない状態がふつうになった。負債を返したり、あるいは増やしたりしながら時間だけ過ぎて、罪悪感を抱えたまま、彼らの姿を目にするのが後ろめたくて、そのうちに熱が引いていくのを感じていた。寂しかったけれど、まだゆるされないと思っていた。まだ彼らに向き合えるだけの自分になっていない。ふさわしくない。
 
それでも、一括返済とかできなくても、報われる日というのは来るみたいだ。最後の最後、佳境に差し掛かった頃によりによってパソコンの電源がつかなくなって修理しなくちゃいけなくなったり、そのせいでめちゃくちゃ観たかった演劇を観に行けなかったりと災難に見舞われて、なんでこんな目に合わなくちゃいけないんだと悲しくて泣いたりしたけど、今週の後半になってようやく、5月から続いた怒涛のような日は一区切りがついた。忙しい時は死ぬほど忙しいけれど、終わってみればあっけないほどに暇なのがプロジェクトベースのしごとの特徴である。次のプロジェクトが始まるのは9月の頭なので、8月いっぱいは残業なしの8時間労働だ。うれしい。めちゃくちゃにうれしい。労働というものは本来そういうものでしょうと言われてしまえばそのとおりで、定時あがりとか仕事をしなくても平気な土曜日とか日曜日とか、そういうものに涙が出そうなくらい嬉しくて、嬉しいことが悲しい。それほどまでに、私は私の時間と生活を安売りすることに、すっかり飼いならされている。仕事はしたいけど、こんなにじゃない。ツイッターで見かけたその言葉がまさに至言だった。今のしごとをやめたいわけでもないし、ほかに行きたい場所もないし、ただもうすこしちゃんと生きたいだけなのになあと思う。
 
そんなこんなで、久しぶりに健康で文化的な最低限度の生活とやらにありつけて、昨日は一日家事をして、漫画を読んで、資産運用の計画を立てて、荒れっぱなしだった爪を整えて色を塗り直して、黒い侵入者を退治して、なんとなくやりたいなと思っていたことは全部終わらせることができた。それなのにまだなにかやり残したことがある気がして、まだゆるしてはいけない気がして怖かった。何度も終わった、ちゃんとやることはやったって自分に言い聞かせて、やっとセブンティーンの新曲を観た。
 
推しが、ばっちばちにセンターを張っていた。息をのんだ。好きだ!って強い感情がぶわあっと流れ出してきて、自分でびっくりした。無理に好きでいるものじゃないとは思うけど、私がひとりで歩けるようになったのはセブンティーンを好きになったからで、セブンティーンとずっと一緒に歩いてきたから、それを必要としなくなっていく自分が悲しいと思っていた。でも、好きだった。全然好きだった。惹かれた頃の、今にも消えてしまいそうな儚げな空気をまとっていた彼はすっかり鳴りを潜めて、勝ち気な表情の世界一美くて力強くて格好のいい男の子がそこにいた。王様だ、と思った。私の世界を統べる王様だった、ジュンくん。4月のコンサートで、コンサートに来てくれて、自分の名前を呼んでくれるだけで嬉しいんだって言ってた彼のことを思い出した。まだ会う元気はないかもしれないけど、でもこの先もやっぱり好きでいたいと思った。届かなくてもジュンの名前を呼んでいたいなあと思った。
 
それからジノのカバーを聴いた。しばらく見ないうちにすこしだけ丸くなったように思えた輪郭で、まっすぐにカメラを射抜いて、いろんな声音を使い分ける、私が好きになったボーカリストがそこにいた。ああ、会いたいなあと思った。このひとの歌を聴きたくて、あちこち追い回していた頃の体力は、今はもうないけど。お金はまえよりも手元にあるのに、引き換えに失ったものが大きすぎて、それが悔しくてたまらなくて、それを悔しいと思える自分に心底安堵した。ジノの歌声に感情をかき回されて、まだ自分の中に揺れるものがちゃんとあることを確認して、生きてるやって嬉しくなった。だって、生きようと思ったのはジノの歌があったからだったから。まだだ、まだ死んでない。
 
好きなものを好きだと思えることがこんなにも嬉しい、それが悲しい。ちゃんと好きなものを好きでいられるくらいの、息抜きの仕方は覚えたいと思った。ジュンくん、好きだ。大好きだ。ジノ、私は今でもやっぱりあなたと対等になりたい。まだ及ばないけど、ジノの生き方が好きだから、私も自分の生き方を愛したい。愛せるように生きたい。生きるんだ、生きるぞ。アイドルはやっぱり光だ。

液晶、生活の交点

生きるって、なんだったか。こんな生き方をしたかったわけではない、とその感覚ばかりを毎日やり過ごしているけれど、どんなに風に生きたかったのかはもう忘れた。

25歳。結婚とか、出産とか、はたまた社長になっていたりとか。とっくに言葉をかわさなくなった(そしてきっと、この先も交わさないであろう)かつての同級生たちが、ライフステージを着々と進めていく。私は画面をスクロールして、それらの概要だけを把握する。中身に興味はない。かかわりのなくなった誰かが、おなじくかかわりのない誰かと生きていくことにしようが、私にはかかわりのないことである。時間というのは面白くて残酷だ。あれだけ近くに感じていた彼らが、もし今なにかで死んでしまったとて、今の私が悲しみに暮れることもないだろう。薄情な人間になったものだ。

それなのに、私にとって取るに足らない存在であるはずのひとびとに、こんなに焦燥感を掻き立てられている。理不尽も甚だしい。

結婚にも出産にも興味がない(というより積極的に避けたい)し、それらを幸福と定義する世界を憎んでいる。私を幸せにできるのは私だけだ。だけど、社会の中ですこしずつ役割を変えながら上手に生きていくひとたちのことは羨ましい。彼らが夫とか妻とか父親とか母親とか上司とかになっていくのに、私はずっと同じところにいる。それがもどかしい。

違うね。誰にも必要とされない自分のことを肯定できないだけだ。結婚だとか家族だなんて社会制度は心底ばかばかしいと思うけれど、このひとと生きていたいと思えるひとに出会えたひとたちのこと、その相手とこの先も一緒にいるという選択をできるひとたちのことが妬ましくてたまらない。流れてゆく画面をいちど叩いて、息の詰まるような幸せに満ちた文章と写真をほんの刹那注視するとき、自分がそちら側にいくことをゆるされていない諦念が腹の底をじわりと重くする。誰かの幸せなんか祝ってやりたいと思わない。私が幸せじゃないので。

塗りかえて世界

金曜の夜、飲み会を終え、片付く気配のない仕事をどう週末のあいだに殺そうか考えているうちに、最寄り駅についていた。先月末に閉業した惣菜屋の建物はいつの間にかすっかり取り壊されていて、建物と建物のあいだにぽかりと居心地の悪い、唐突な空白が生まれていた。ぽつんと取り残されたショベルカー越しに、まばらな星が見える。意識していないあいだに時間が進んでいることを思い知らされて、胸の奥がそわりとした。このところ空を見た記憶があまりないなと思った。当然だ。仕事しかしていないのだから。いろんな要因が重なって、連日怒涛の残業が続いている。困ったことにそこそこ楽しんでいるので、見境のなさに拍車がかかる。あいかわらずのバランスの悪さなので、まともな食事はあまりしていない。あの店の惣菜はまた食べたかったのに、もう叶わない。

会社員になって1年半がすぎて、しばらくは自分はこの領域で食っていくのだろうなという専門分野が定まりはじめた。右も左もわからなくて自分の無力に泣いた時期を抜けて、なんとなくだけど、この世界の定石みたいなものも見えるようになりつつある。もともと事業内容に興味があって入社したわけではないから、何をやることになったってどうでも良かったのだけど、わかるようになることやできるようになることが増えるのは、それなりに面白い。進もうとしている道に納得できるのはけっこう幸せなことなんだなと、周りの同僚を見ていると思う。中身を楽しめることもそうだけど、なにより組織のなかについていきたいと思えるひとたちがいるのは、たぶんかなりラッキーだ。ここにいると、自分の未来を描ける気がする。

残業、ださいと思う。8時間という決められた時間のなかでやるべきことをやるのが仕事のあるべき姿だし、終わらないものは、むりして終わらせるべきではない。終わらせる必要はない、じゃなくて、終わらせるべきじゃない。終わらせるまで頑張れよみたいな考え方のひとはいくらでもいるけど、私の生活は、感覚は、そんなに安くない。アイドルとか音楽とか短歌とか詩とか演劇とか文学とか絵画とか美味しい料理とかコーヒーとか酒とか、道端の草花とかがあふれる世界にあって、仕事の重要性なんて、その何厘にも満ちやしない。

そんなことを宣ってみたところで、こんなに働いていたら説得力も何もあったものではないけれど、その気持ちは今でもぜんぜん変わっていない。仕事を軽視したいわけでも、面白くないと思っているわけでもない。ただ、仕事だけに視界を明け渡してしまってもいいと思うには、世界が面白すぎるのだ。それでもこうなっているのは、けっきょく私がクソがつくほどの真面目で、強迫的なまでに責任感が強くて、バランスをとるのが致命的に下手くそな不器用だから、でもあるけれど、目が回るほどの忙しさを甘んじて受けいれているのには、もうひとつ理由がある。

かつて惣菜屋だった空き地をいちどは通り過ぎてから、それだけの時間、脇目も振らずに仕事に没頭していた自分を褒めてもいいかもしれないとふと思った。引き返して、スーパーでハーゲンダッツを買った。そうして帰宅して、今週はほんとうに頑張ったな、と思いながら紅茶を淹れた。長いこと自分のことを甘党だと思っていたのだが、久しぶりに食べたハーゲンダッツは思っていたよりもずいぶんと甘すぎて、ゆっくり時間をかけないと食べきれなかった。自分が変わったのだなと思った。そう、変わった。自らを評するのに真面目だとか、責任感が強いだとかいう表現を用いることもなかった。むしろ大雑把で、すぐに諦めて放り投げるような、責任感が希薄で怠惰な人間だと思っていた。どうやらそれが、度を越した几帳面を裏返した結果だったらしいということに気がついたのは最近の話だ。今週はほんとうに頑張った、と自分で思える、そんなこと、25年半生きてきたなかで初めてなのだ。自分が頑張れている、そう思えることが嬉しくて、多少のしんどさには寛容になっている。

中途半端で終わるくらいなら、潔く諦めるべきだという考え方は、もうすっかり骨まで染み付いている。救いようのない諦め癖に冒されているから、完璧主義なんて格好のつくものではない。そんなに追い込まなくても大丈夫だ、もっと楽に構えなよといろんなひとに何度も声をかけてもらったけど、私にとっては、「これでいいのだ」と折り合いをつけることの方が、ずっとずっと難しい。未完成の状態にとどめてしまうことで、自分の能力が足りていないと思い知るのが怖いのだ。それで、はじめから戦う土俵に立たなければ、勝負の結果はつかないじゃないか、などと言い訳をする始末である。ほんとうは、そんなのは、不戦敗に過ぎないのに。

投げ出すとか先延ばしにするという選択肢など目をくれず、自らのやるべきことに注力できる優秀な同僚たちのことが羨ましかった。彼らは、いつでもやり遂げることをまず考える。考えることができる。それは未来に対する信頼だ。彼らは死を望んだことはあるのだろうか。いちど死にたいと思った人間には、戦わないことを選ぶ誘惑が常につきまとう。生きていくと決めて、気づけばもう半年が経っているのに。私が戦わなくちゃいけないのは、世界でも、他者でもなくて自分なのだと、仕事をしているといつも思う。

そもそも私はひとにくらべて、時間の概念が希薄だ。時計の針が進んだ先に未来が存在するのはわかるけれど、それが現在の自分とつながっているという実感がない。直近の未来ならまだしも、数カ月とか数年先のことになると全然だめだ。自分が生きている姿を想像できない。私が自らを未熟であると認めることに病的な抵抗をおぼえるのはそのせいだ。「次のチャンス」だとか「未熟な今よりも成長した自分」の存在を前提にできない人間には、今しかないのである。

だからといって、完璧にもたどり着けない。当然だ、私は未熟なのだから。でもその事実と向き合いたくないから、諦めることを選んできた。やればできる自分に幻想を見ることしかできない、成功体験に欠けた人間はそうして形成される。

他者に評価されようと、結果が良かろうと、「自分はじゅうぶんな努力していない」という感覚に勝るものはなかった。四半世紀を生きてなお、自分は努力した、と胸を張って言えるものがない。ひとは記憶を美化するいきものであるとか嘘でしょう。私の過去を眺めて浮かんでくるのは「ああすれば良かった」ばかりだ。高校時代の友人の大半と疎遠になってしまったのは、それをまるごと手放したかったからかもしれない。


「ふだんから頑張っていないと、いざという時に頑張れなくなってしまうよ。」

中学のときの担任に言われた言葉だ。当時着任3年目くらいの教員だった。卒業して以降会っていないから、私の中で先生はずっとあの時の姿をしている。今の私とそう年の変わらないはずの彼女のその言葉は、もう10年近く経つのに、いまだに深々と刺さっている。当時から私は自分がまわりにくらべて頑張れない人間であると思っていて、そのことに引け目を感じていた。かといって、なんとなくで中の上くらいをキープできてしまう現状にあって、自分を納得させられるくらいに頑張る貪欲さは、私にはなかった。

なにより、何をしたら頑張ったことになるのかがわからなかった。頑張れという人はたくさんいるけれど、彼らは頑張り方を教えてくれるわけではない。何時間勉強しましたとか、毎日運動しますとか、いろんなひとが、いろんなことを頑張っている。そういう話をきいて、すごいな、頑張ったのだなと思う。だけどそれはあくまでもその人が何を頑張ったかの話で、「頑張るとは何か」という問いのこたえではない。同じことをしたら私が頑張ったことになるかというと、それも違う。

頑張り方を知らないまま会社員になって1年が過ぎた頃、配属されたプロジェクトで、初めて「なんとなくではどうにもできない」という状態に直面した。割り振られた作業を、自力で終わらせることができない。仕事のこわいところは、毎日が期末レポートの提出日みたいなところで、なおかつ学生時代と決定的に違うのは、自分のやっているタスクが自分だけで完結しないところだ。たとえば期末レポートの提出を諦めて単位を落としたところで、困るのは自分だけ。まあ、留年とかしたらすこしは周りに影響が出ることもあるかもしれないけれど、それにしたって限定的だ。だけど会社ではそうはいかない。自分がやらなくちゃいけないことをきちんと終わらせられなかったら、ほかの人に迷惑がかかる。なのに、今までなんとかなってきてしまったから、いまさら他者に頼る方法もよくわからなかった。だいたい、その人達だってそれぞれ自分のやらなくちゃいけないことを抱えているから、むやみやたらと助けを求めることもできない。代わりにやってくれるひともいない。やらないもできないも、はなから選択肢にないのだ。

「頑張ったけど、だめだった」という状況が存在しうる、ということを理解できなかった。だめだったのならそれは頑張っていなかっただけじゃないか、そう信じ込んだ。じゅうぶん頑張っている、と言ってくれる人たちは、いかに私が怠けているかを知らないだけなんだ、全然足りていないんだって思っていた。だってそうじゃなきゃ、自分がその程度だと認めることになってしまうから。

自分を責めるのは楽なのだ。自分が変われば、自分がちゃんと努力できさえすれば、この状況も変わるかもしれないという希望を持てるからでもあるし、自分を責めることで、頑張っていない自分を正当化できるように思えるからでもある。こんなにつらい思いをしてるんだから、頑張れなくたって仕方ないよね、みたいな甘さが自分を嫌悪する気持ちのうらにあることを、私はよく知っている。最低だ。自己嫌悪は自傷行為だけど、自慰行為でもあるのだ。というより、自傷行為が自慰行為そのものというのが正しいかもしれない。手首や太ももに傷をつけていた頃と寸分たがわぬ感覚だもの。

深く刻み込まれて轍のようになった思考から抜け出すことができずに、とうとう年末は調子を崩した。死ぬのはやめると自分に誓って以降、いちども口にしていなかったはずの「死にたい」が、いとも簡単に戻ってきて、真っ黒な衝動に自分の内側が塗り潰されていく感覚が怖くて毎日泣いていた。ただでさえ芳しくなかった仕事でのパフォーマンスもみるみる落ちた。ぼろぼろになっていく私を見かねたのか、あるいはよほど使えなかったということなのか、とにかく上司は年明けからチーム異動できるようにはからってくれた。その話を持ち出されたときも、やっぱり自分の力不足を突きつけられたように感じて落ち込んだけれど、かといってチームに残る選択肢はどう考えてもなかった。

結果的にすこし負荷の軽いチームに移動したことと、相性の悪い上司から距離を置けたことが幸いして、春先にはまた死を望まなくても生きていくことができるようになった。そんな感じでだいぶ調子がよくなった実感が出てきた折、私が敬愛してやまない上司と面談する機会があった。そのひとは、立場上すこし離れたところにいるので、その頃は直接いっしょに仕事をしていたわけでもなかったけど、なぜだか私のことをずっとかわいがってくれている。調子を崩した時も、ほかのチームメンバーからそのことをきいて、年末の忙しい時期にわざわざ時間をとって話を聞いてくれたのだった。年が明けてからはさらに顔を合わせる機会も減っていたのだけど、たまたま社内で偶然出くわして、10分ほど立ち話をしたときがあって、最近はまた元気になりましたと伝えたら、良かったと嬉しそうに目を細めてくれた。私はそれだけでじゅうぶんだった(彼のような忙しいひとに、私のために時間を割かせるのは気が引けるから)のだけど、その日の夕方、社内のチャットツールで連絡がきた。今日はゆっくり話せなかったから、今度時間をとりましょう。直属の部下でもなんでもない私のことを、そうやって気にかけてくれることがすごく嬉しくて、緩んだ口元はしばらく戻らなかった。

あのとき、もっとああしておけばよかったってどうしても考えちゃうんですよね。その面談で、作業をさばききれていなかった年末を思い返して私がそう言ったときのことだった。そのひとはわかるなあと苦笑いをして、それから「でもさ、」と言葉を続けた。

「かりに、そのときの自分とまったく同じレベルの知識と経験しかない状態に今もういちどなってみたとして、そのときよりもうまくできるかって言ったら、たぶん、できないじゃんね。そのときの自分にできる最善の決断を、そのときの自分はしたでしょう。だったら、それはちゃんと頑張ったってことに、俺はしちゃうかな」

あなたは頑張っているよ、なら何度も言われてきたけど、それは、彼らの目に私が頑張っているように見えるらしいということ以外、私にとって何の意味も持たなかった。そういう優しさと、このときの上司の言葉が決定的に違ったのは、頑張るという言葉の定義が明確だったことだった。

頑張るって、そのときに自分が選びうる選択肢の中で最良のものを選ぶことなんだ。氷が溶けたみたいに、すっと馴染んだ。

「それに、次はもっとうまくやれるでしょ?」

そうですね、と私が頷くと、それでいいんだよと返された。いいのかもしれないと、ほんとに思った。

世界は変わっていない。私がいるのは、過程が評価されない、「頑張ったけどだめでした」が通用しない世界のままだ。それでも、その言葉があったから、私の目に映る自分も、私の目に映る世界も、全然違うものになった。自分はがんばれていないと、最善を尽くせていないと思っていた。まちがった判断をたくさんして、そのときのことをずっと悔いてきた。だけど確かなことは、間違えようとして間違えたわけじゃないのだ。正解ではなかったかもしれないけど、そのときの自分に最善に見えた道はたぶん選んでいた。そういうふうに自分を見てみると、ちょっとくらい認めてもいいような気がした。そんなふうに自分のことを素直に肯定できた経験はなくて、ほとんど泣く寸前だった。

心臓に刻みつけた。何かを選ぶとき、それが自分の手持ちの選択肢のなかで最良かどうかを考えるようになった。そうしたら、ジノやレイちゃんが繰り返し口にする「努力」という言葉が、まえよりもすこし近く感じられるようになった。眠ることが怖くなくなった。どうしようもなく疲れて動けないときも、動かないことがその瞬間にとっての自分には最良なんだと思えるようになったから、自分のことをだめだと思わなくて良くなった。最良だと思って選んだはずの道があとから振り返ったときには間違っていたなんてことはきっとたくさんあるんだろう。いつかそれに気付ける日が、きっとくるんだろう。そのときが楽しみになった。未来が、楽しみになった。

ジノがいつだか言った「自分は狂うほど努力をしている」という言葉が、途方もなくて、想像もつかなかった。遠くに感じて悲しかった。だけど、今はすこしわかる気がする。ジノと対等でありたいと願いながら、彼を追いかけて飛び回ることの矛盾に、ほんとうはずっと気づいていた。だって、追いかけるということは、彼よりも後ろにいるということだ。いつまでもそこにとどまるつもりはない。次に会うときはきっと後ろめたさを感じなくてすむはずだ。

仕事に心も生活も奪われる気なんかない。世界を諦めるつもりなんかさらさらない。それでも、自分の未来を引き受ける覚悟をしたから、たぶん今仕事に注ぐのは悪い選択じゃないはずだと思って、いけるとこまでいってみようかなとか思っているのだ。

傍観(4月28日、ソウルにて)

安宿の、けっして快適とはいえない寝心地のベッドで目が覚めたのは11時になる頃だった。そこからまたしばらく微睡んで、正午をまわってどうにか宿を出た。睡眠をきちんととると、こんなにも体は軽いのか、と驚く。予定は何も決めていなかったので、宿から大通りに出て、なんとなくで左に進むことを決めた。はじめてひとりで旅行をしたのは2年前の夏に香港に行った時だが、そのとき以来、すっかりひとりで動き回る楽しさに魅せられてしまった。友人と行く旅行もそれはそれで楽しいけれど、やはりひとりに勝るものはないと思うのは、こういうときだ。何も決めず、感覚だけで、その瞬間に右か左かを決めてそちらに歩き出せる時。

大きめの交差点までたどり着いて、さて次はどちらに進もうかときょろきょろしていたら、ビルの向こうにゴシック様式の高い尖塔がそびえているのが目に入った。明洞大聖堂だ。大型連休中の明洞なんていつもにまして日本人が多そうで避けようと思っていたのだが、ふっと心を惹かれてそちらに行くことにした。明洞の中心部からすこし離れたところにあることもあるし、なにより、今日は礼拝堂の中に入ってみたくなったのだ。昼は過ぎていたからてっきり礼拝は終わっているのかと思ったのだが、中に入ってみると、ちょうどミサの最中だった。日曜は、朝から昼にかけて幾度かに分けて礼拝をやっているとあとで知った。

私自身は信仰を持たないけれど、中学から大学までの10年間をキリスト教校で過ごしたせいか、教会という場所は好きだ。カトリックの荘厳な空間であれ、プロテスタントの素朴な空間であれ、祈るための場所は、時間の流れが穏やかで、外の世界とは確実に異なる、静謐で重たい空気が満ちている。日常の喧騒が遠のいて、慌ただしさでささくれていた心がふっと凪ぐような空間。

礼拝に参加するのは、学生時代ぶりのことだった。席は後ろまで埋まっていて、遅れて参加したひとたちが溢れて後ろの方に立っていた。私もそのなかにまぎれて、ところどころ聞き取れる神父の言葉を理解しようと努めながら、信仰の溶けた空気を取り込もうと何度か深呼吸をしてみた。祈りの場の空気というのは不思議とどこもひんやりとしているような気がするが、比較的温かい日だったからか、ここはなんだか柔らかいような気がした。迷い込んだ観光客として、この美しい空気を乱したくはなかったから、周りにならって祈りを捧げてみた。信仰を持たないと自覚しながら、宗教的な儀式を模倣するのは、果たして礼を失していることになるのだろうかという迷いはあったけれど、すくなくとも、あの場で同じように振る舞うことが、彼らに対する敬意だと思ったのだ。礼拝が終わっても、自分が何を祈りたいのかはわからないままだったけれど。

祈るひとが私はとても好きだ。ひとが祈りを捧げる姿は美しいと思うし、信じるものがあるひとはしなやかだ。彼らの視線や言葉の向かう先に在るものを、私は知らない。触れることもできない。神よ、そこにいるのですかと胸の内で呼びかけてみても、こたえはない。羨ましい、と思う。信仰とはなんだろうか。信じるものを持った先に見えるのは、いったいどんな世界なのだろう。この美しいひとびとの目を通して解釈する世界を、私は見てみたい。その場にあって、明らかに異端である自分に所在なさを覚えながら、そんなことを考えていた。

礼拝がおわって、外に出たとき、ずいぶんと自分の心が落ち着いていることに気がついた。私がコンサートを口実にあちこち飛び回るのは、気が急いてばかりの日常から逃れて呼吸を取り戻したいからだけど、まちがいなくその目的を果たすことのできたひとときだった。ほんとうは日本にいるときも行きたいとずっと思ってはいるのだけど、朝が弱いという致命的な弱点のために、今のところ実行できていない。

礼拝が終わったのは13時で、コンサートの開演時間までは4時間近くあった。はてどうしようか、とぼんやり大通りを歩いているうちに、美術館に行ってみたいと思ったことを思い出した。ソウル市内の美術館を検索していくつか出てきたもののうち、韓国の伝統美術から近代美術までを網羅した展示があるという紹介文に目が留まった。お、面白そうじゃんと調べてみたら、なんとコンサート会場と同じ最寄駅だという。私はここに行くべきだったのだと直感して、迷わず電車に乗った。神は信じていないけど、こういう運命みたいなものはけっこう真剣に信じている。

漢江鎮駅から徒歩5分、坂道をすこしのぼったところにある三星美術館リウムは、館名そのままサムスングループが運営しているとかで、洒落た風貌の立派な建築だった。サムスンが漢字表記で三星であることを初めて知った。私は昔から歴史がからきしなのだが、異国ともなればなおさらで、知識皆無の状態で臨んだ伝統美術の展示はおもしろかった。とくに磁器の展示は、個人的にもともと好きなこともあって楽しかった。青磁器や白磁器の美しさには心を奪われた。唐草紋、雷紋、雲紋といった模様の名称や、陰刻、陽刻、象嵌といった装飾の手法の名前まで、知らないことがたくさんあってにやにやした。それからすごかったのは、音声ガイドだ。作品に近づくと、自動的にその作品の解説が流れ出すのには驚いた。しかも1000ウォンで借りることができる。日本だったら500円とかするのに。韓国はたしか特定の日にミュージカルや映画のチケットが安くなるみたいな制度もあるときいたことがある。芸術にお金を惜しむようなことはしたくないけれど、ハードルが低いのはすごく羨ましい。

伝統芸術館を4階から1階まで見てまわって、それだけでも1時間半はゆうに過ぎていた。空腹に耐えかねて館内のカフェで軽食をとり、それから現代美術の展示館もまわった。おもに印象派の絵画が好きな身としては、いまひとつとらえどころのない現代美術には苦手意識があったけど、こちらも面白かった。食わず嫌いだったのかもしれない。最初は音声ガイドをつけずにぐるりとまわって、そのあと気になった作品に戻って解説をきく、というやり方をしてみたら、これがもう超楽しい。静かな館内でなんどへえとつぶやいたかわからない。結局ひとつひとつ解説を聴きたくなってしまったものの、時間切れで飛ばし飛ばしにしてしまったのがとても心残りなので、また時間があるときに行きたい。あらためて、この国のことをなんにも知らないのだなと思う。アイドル以外のこの国について知る、というのは私がひそかに今年の目標に据えていることでもあったので、そのとっかかりをつかめた気がして嬉しい。

そんなこんなでコンサート会場に駆け戻った。ちょっぴり考え込んでしまうところもある公演だったけれど、彼らが楽しそうでそれがすごくよかった。そのあと会いたかった人にも会えたし、美味しいものを食べながらゆっくり話せたし、きちんと呼吸を整えることができた日だった。何度も訪れるうちにわかるようになったことはたくさんあるし、たまには他の場所にも足を伸ばしたいなと思いつつも結局また来たくなってしまうのは、やっぱりこの土地が好きだからなんだろう。はじめのころよりずっと好きになっている。毎回新しい表情を魅せてくれるこの街が好きだ。次はいつだろう。