Let's Get Lost

僕に力をくれ、もっと強くなってみせるから

1ダースの若さに捧ぐ

昼食後に椅子に座り通しでパソコンと睨めっこをしていれば眠くなるのが筋というもので、眠気覚ましにふらりとデスクを離れ、エレベータで30階分を落っこちてコンビニまで小さな逃避行をした。そのコンビニのフィナンシェが私のお気に入りで、今日もおやつにそれを買うつもりだったのだが、ふと目に止まった赤い箱に、思わず手が伸びた。

12個入り108円のそのミルクチョコレートは、どのコンビニにも必ず置いてある。期間限定でもない、ありふれたその赤い箱が、わたしたち二人にとってだけ特別な意味を持つようになったのはいつからだっただろうか。

初めて会話をした時のことは、よく覚えている。16の夏だから、もうかれこれ8年ほど前になろうか。彼とは、学習塾が同じだった。集団授業の塾ではなくて、2、3人の生徒を一人の先生が順番に見る個別指導のところで、だから生徒同士が会話することはあまりなかった。ただ、帰りの電車の方向が同じだったから、成り行きで一緒に帰ることになったのがきっかけだったと思う。お互いに人見知りをする性格ではなかったこともあり、私たちはあっという間に意気投合した。たまたま、彼の降りる駅が私の乗り換える駅で、二人でプラットフォームに降りて、じゃあね、と別れの挨拶をした。彼はまたね、と言って私に背を向けて2、3歩進んだところで、つと足を止めてこちらに戻ってきた。

連絡先、交換しよう。彼がそう言って、私たちは赤外線通信でお互いの連絡先を折りたたみ式の携帯電話の中に収めた。あの時、めちゃくちゃ緊張してたんだよね、と彼は後にその時のことを振り返って笑った。私は君がそう言い出してくれるのを期待してたよ、と言ったら少し照れ臭そうにしていた。

通う学校が違ったから、私たちはお互いにうってつけの話し相手だった。何せ、共有する人間関係がないのだ。どんな愚痴を言っても心配することのない関係性は驚くほどに楽で、私たちは色々な話をした。

彼の声が好きだった。楽しそうな笑い声も。家族の話、学校の先生の話、友達の話。将来の話。そう、あの頃はまだ私も先のことを夢見るだけの力があったのだ。

地球が太陽の周りを半周して、私は17になった。冬期講習で彼とは毎日のように顔を合わせていて、私が誕生日だと知ると、ごめん、何も用意してない!と申し訳なさそうな顔をした。チョコとかでいいよ、と私は笑って、二人で休憩時間にコンビニまで買いに行った。これがいい、と当時はまだ105円だったそれを指さすと、こんなんでいいの?と怪訝そうな顔をしながらも、彼はそれをレジに持って行った。

また季節がひとつ動いて、春になって、今度は彼の誕生日に、やっぱり私もそのチョコを買った。

顔を合わせるのは週に2回だけだったけれど、私たちは折りたたみ式の小さな端末に言葉を降り積もらせ続けて、出会って二度目の夏が来た。男子校に通っていた彼の学校の文化祭に一人で遊びに行って、彼の友人たちに、彼女?と冷やかされたこともあった。あの時彼はどんな顔をしていたのだろう。ちげぇよバーカ、とあしらっていた声は耳に残っているけれど。

高校生御用達の安いファミリーレストランで9時間話し続けたこともある。昼過ぎに入って軽食を食べ、あとはドリンクバーで夕方まで居座った。夕食時になって退店を促され、夕飯も頼みます!と言うことのできた図々しさも、若さのひとつの形だったのかもしれないと思う。

当時私は二つ上の高校の先輩と付き合っていた。先輩はとてもいい人だったけれど、その人が愛してくれるほどに自分が愛を返せないことに、私はずっと引け目を感じていた。彼は別れを切り出せない私の話に辛抱強く付き合ってくれた。今にして思えば随分と最低なことをしたものだと思う。どっちに対しても。なんとなく彼の好意が自分に向いていることは気が付いていたし、私もとっくに彼に惹かれていた。

ほどなくして私はその先輩に別れを告げて、なんの違和感もなく、私たちはお互いの想いを確認した。けれど、まだ恋人ではなかった。17歳の秋のことだ。私はすでに推薦で大学の進学が決まっていて、彼はこれから受験本番というところだった。

彼女ができて、浮かれて大学に落ちるなんてことにはしたくないから。彼はそう言って、冬が終わるまでは私には会わない、連絡もしない、と宣言した。私はわかった、と頷いた。

2ヶ月ほど経って、彼と出会って二度目の私の誕生日に、私は自分でチョコを買った。その日をどう過ごしたのかは覚えていないけれど、たぶん高校の友人たちが祝ってくれたりしたのかもしれない。とにかく私は、彼からの電話には気が付かなかった。

着信履歴に気が付いてから音声を再生するまでの数秒の、あの胸の高鳴りはきっともう味わうことはないのだろう。留守番電話に残されたメッセージ、久しぶりの彼の声。

なんで気が付かなかったんだろう、とほぞを噛みながらも、受験終わるまでは会わないときっぱり言った彼の意志の強い目を思い返してやっぱりこれで良かったのかもしれないと私は思った。電話を掛け直そうかひとしきり逡巡した挙句、結局は留守電聞いたよ、ありがとう、と短いメールを送るに留めた。連絡を取らなくなってからも何度も読み返していた、彼との言葉のやりとりが降り積もったフォルダを開くのは、考えなくても指が覚えていた。

国立の難関大が第一志望だった彼の冬が終わるのは遅かった。前期はだめで、連絡が来たのか、会ったのかは覚えていない。結局、後期も彼の努力は実らなくて、彼はもう一年頑張ることを決めた。

そうして私達は晴れて恋人になったけれど、私は春に進学し、彼が予備校に通うようになると、あっさりと私達はすれ違ってしまった。私は新しいことづくめの毎日に心を奪われてしまったし、彼はそんな私にもどかしさを覚えていたのだと思う。

何より、気兼ねなく話せる間柄ではなくなってしまった。友人として一緒にいた頃は、ふたりのあいだに問題なんかなかったから、私達は個々に抱えたものをお互いに吐き出しては支え合うことができたけれど、恋人同士になったら、それはうまく行かなかった。うまく行くには、きっと若すぎたのだ。

夏になる頃、私たちの関係は終わりを迎えた。別れを面と向かって切り出す勇気がなかった私は、一方的に連絡を絶って彼から逃げ出した。それがひどく傷つけることだとわかっていた。

次の春、彼が第一志望の大学に合格したことはSNSで知った。勝手な終わりを突きつけておいてわがままな話だとはわかりつつ、やっぱり嬉しくて、画面を見て小さくガッツポーズをした。

数年後に再会したとき、彼は、あのあと飯が全然食えなくなって大変だったんだからな、と口を尖らせた。ごめん、本当にごめん、と私は謝った。しばらく会わない間にそれぞれ新しい恋もしていた。それからも何度かふたりで食事に行った。相変わらず彼は話しやすかった。だけどどこかで付き合う前のような関係には戻れないことを、ふたりともわかっていた。次第にまた遠ざかっていった。たぶん今度こそ、もう交わることはないのだろう。

コンビニで見かけるいつもの108円の横に、新発売!とポップのついた、200円の赤い箱が並んでいた。同じシリーズの、パッケージには金色でおしゃれな模様がプリントされていて、オレンジピールやナッツが入っているプレミアム版だ。少し迷ってそちらを手にとった。

デスクに戻り、コーヒーと一緒にそれを口に運びながら、大人になったなあ、と思った。オレンジピールがふわりと香るそれはすごく美味しくて、けれどシンプルなミルクチョコレートが恋しいような気がした。