Let's Get Lost

僕に力をくれ、もっと強くなってみせるから

190211

言葉をつかうのも習慣づけていないと、どんどんうまく使えなくなる。書きたい気持ちはあるのに、すとんと収まる言葉がうまいこと引っ張り出せなくて、輪郭の曖昧な感情の塊が体の中でぐるぐるしていて気持ちが悪い。怪物を体の中に飼っているみたいだ。ちゃんと面倒を見て飼いならしていないと、だんだんと膨れ上がって厄介なことになる。仕事が落ち着いて余裕はできたけど、ちょっと息苦しい。短い日記でも良いからもう少し頻度を上げて吐き出したいのだけど、ただ暮らしているだけでも感じることが多すぎて、いざ書き出すとあれもこれもと欲張ってしまって結局書き上げられない、みたいなのが常だ。そういう不器用さというか融通のきかなさあってこそ書ける文があるのも確かだけど、出来はどうあれまず仕上げることを考えるようにしたほうがいいのかもしれない。そう思って、今日の日記を書いている。気づけば2月も半分近くが終わろうとしていて、本当は2019年の目標みたいなものも言葉にして残しておきたいとか思っていたりするんだけどな、ちかいうちにきちんと書きたいな。

今日は午前10時半に起きて、土曜にやり残した家事を片付けた。会社員になってしばらくは、平日で疲れ果ててしまって休日は午前中はまるまる寝て過ごすみたいなことがざらだったけれど、一年もすると少しずつ体も慣れてくるのか、午前中に起きられるようになりつつある。今週は三連休だったこともあって、質のいい睡眠をとれた感覚もあった。やってもやっても仕事が終わらなくて焦りと不安に苛まれていた時期を抜けたのも良かったんだろう。とにかく、午前中に起きるだけで、その日の残りの充実ぐあいは全然変わる。家事をしたあとは、動画を見たりネットサーフィンをしたりして、14時過ぎに家を出た。

ふだん、休日は家にこもるか、遠征するために早朝に出てしまうか、のどちらかなので(あらためて書くと極端だ)、休日の昼下がりの電車にはあまり乗らない。平日に乗る朝の通勤列車と違って、どこかぬるい空気の漂う車内が新鮮だと思いながら山手線に乗った。そういえば、この前山手線に乗ったのも、やっぱり韓国に行く日だった。始発から間もない、まだ空が明るみはじめたばかりの時間だった。私の座る席からドアひとつ離れたところで、酔い潰れた会社員が豪快に床で眠りこけていた。駅で乗ってきた人が一瞬だけ面白がるような色を含んで彼に目を留めて、それからまた自分の手に握られた端末に視線を戻して興味を失っていくのがおもしろくて、ずっと見ていた。数駅乗ったところで、駅員が男を引きずって降りていった。大変な仕事だなと思う。きっと起きた時彼は山手線の床で寝ていたことは覚えていないのだろう。

恵比寿駅で降りて、近くのコーヒー屋でカフェラテをテイクアウトしてカイロ代わりにしながら歩いた。少し熱めに作ってもらったのだけど、それでもみるみるうちに温度が奪われていくのがわかった。2月らしい冷え込みで少しうれしい。15分ほど歩いて、目的地、日本画を専門に展示している山種美術館に着く。開催中の奥村土牛の展示にどうしても来たくて、出不精の私にしては珍しく足を伸ばしたのだ。

展示はすごく良かった。小学生の頃、親に連れられて見た東山魁夷の絵に魅せられて以来、日本画の優しい色使いが大好きなのだけど、奥村土牛の絵には魁夷とはまた別の美しさがあった。ひとつひとつの作品に言葉を探していたら永遠に時間が溶けてしまうけれど、とにかく見慣れた魁夷の絵とは違った色使いにはっとさせられたり、土牛の被写体を見つめるまなざしの優しさに感極まってちょっと涙ぐんでしまったりとかしながら、展示室をずっとぐるぐるしていた。画集も買った。魁夷が2冊、速水御舟、鈴木其一に続いて、日本画の画集もいつの間にか5冊目である。

絵画には、知識あってこその楽しみ方というのもある。たとえばどういう時代背景で、画家がどんな影響を受けて、みたいな制作の裏側を知るのは面白い。その瞬間に自分が対峙している一枚の絵に、物語があるとわかって見てみると、違ったものが見えることはよくある。だから美術館の音声ガイドは好きだ。だけど今日は音声ガイドは借りずに見ていた。奥村土牛という画家のことは、名前と、『醍醐』という桜の絵くらいしか知らなかったから、予備知識なしで、ただ絵を見たときに自分がどんな気持ちになるのかわくわくしてみたかったのだ。

美術の勉強をしたことはない。日本画がどうやって描かれるものなのかも、誰が有名なのかもあまり良く知らない。でも、好きだ。こういう好きに突き動かされて生きている自分のことも好きだなあと思う。

閉館ぎりぎりまで見たあとは、館内のカフェで空腹を満たした(起きてからコーヒー以外に口にしていなかった)。ここのカフェは、いつもその時の展示作品にちなんだ和菓子を作っているので、それも来るときの楽しみだったりする。『海』という色とりどりの青色が美しい作品をモチーフにした、胡麻餡の入った練りきりを頼んだ。

『醍醐』を前から知っていたこともあって、なんとなく春の画家だというイメージを持っていた(ちなみに、魁夷は夏のひとだと思う)。実際、優しくて繊細な筆運びに、春はそう遠くないんじゃないかなと思った展示だった。良い休日でした。

190120

打上花火が好きだ。皆が同じように空を見上げて、華が咲くたびにそこかしこから歓声があがる。きっとこれから生きているあいだには二度と出会うことがないかもしれない人たちと、その刹那だけは同じものを見て、同じものに心を躍らせる。見ず知らずの人たちと、おたがいの人生を共有するみたいな、道が交差するみたいな、そういう瞬間が好きだ。だから満開の桜とか、月食とか、流星群も好きで、同じ理由でコンサートも好きだ。

もともと、過去に対する執着は人一倍強いほうだと思う。忘却に対する恐怖、と言い換えてもいい。自分がたしかに実体としてここに存在していることを信用できないから、今この瞬間に存在する自分を、ただ存在しているというだけで肯定することができないから、過去になりゆく瞬間にしがみつこうとする。きらきらの過去をつなぎとめて、それらで構成される私を認めようとする。私にとって書くことが存在証明たりうるのはそういうわけだ。言葉に残せなかった感情も、記憶も、私にとっては存在していなかったことと同じに思える。全部をこの体に抱え込むことなんてできないのに、そう願うのはもはや傲慢なのに、それでも忘れていくことが怖い。失われていくものが怖い。自分が欠けていくような気がして怖い。だから記録することに躍起になる。それは確かに好きでやっていることでもあるけれど、半ば強迫的な側面もある。

コンサートの記録を残すようになったのも、その延長にある行為だ。彼らが愛おしくて美しくてかっこよくて可愛らしい瞬間を、その瞬間に自分の感情が動いたことを、忘れたくなかった。そうやって続けるうちに、いろんな人の目に触れるようになった。それも嬉しかった。それは、打上花火と同じだった。彼らを愛する人たちと密やかな感情の共有をできたような気分になれた。

だけど、拡散された先で、自分の意図とは離れた受け止められ方をしているのも幾度か目にした。そのつもりがなかったなんてのは後出しじゃんけんだと思ったから、そのたびに、自分の言葉が誰かにとって不愉快なものになり得ることに落ち込んだ。私の言葉を目にする人たちが増えるにつれて気を付けようと意識はしていたつもりだったけど、それでも考えが及ばないことはあるのは、たぶん本当はどうしようもないのもわかっている。受け止める人の思考を支配することはできない。八方美人が悪口たりうるのは、八方しか美人でいられないからだ。北北東にいる人にまで良い顔をすることはできない。

それでも、傷付けたくないからとかそんな高尚な理由ではなく、自分が罪悪感を背負いたくないから、誰かの目に触れることを前提にした自分の言葉で誰かを不愉快にさせるかもしれないことに鷹揚でいられるほど強くないから、自分の意思を、感情を含んだ言葉を、簡単に拡散される形で存在させることに躊躇いを覚えるようになった。私が紡ぐ言葉なのに、その中で私の存在は小さくなっていった。違和感は少しずつ膨らんで、だけどそれに抗うだけの強さもなくて、なかったことにした。そうやって思考を、感情を、記憶を断片化して外在化させる行為は加速していった。私はひとりしかいないはずなのに、外から見える私は切り刻まれていった。ニーチェが嫌ったところの、血の通わない言葉ばかり零すようになった。


歌うときに歌のことだけ考えている、と私に教えてくれた彼は、やっぱりあの日も、歌のことだけを見ていた。観客も、メンバーも、バックダンサーも、そこにいるようで、歌っている瞬間だけは彼の目には映っていなかった。私が好きになった彼は、ずうっと変わらない。いつだって簡単なことみたいに歌への揺るぎない愛を惜しげもなく晒してみせる。彼はたしかに彼のために歌っていて、それがどうしようもなく悔しかった。私が、唯一誇れるものに対してさえも真摯さを貫けずにぐちゃぐちゃとしている間にも、彼はまっすぐに歌だけを見ていたのだ。情けなくて、ばかばかしくなった。

 

誰のための言葉だ、私のための言葉だ。私の感情も、思考も、私だけのものだ。私だけが愛せる私だけの言葉を紡げばいい。

生命活動記録総集編2018

2018年があと4時間で終わる。数年ぶりに紅白をいちばん最初から見ているけど、知らないアーティストばかりで、いかに自分が日本の音楽シーンから遠ざかっていたかを感じてすこし面白い。今年の夏、みんながこぞって平成最後ってハッシュタグをつかっているのを鼻で笑いながら横目で見ていたけど、平成の紅白ダイジェストの映像に感慨深くなったりしてしまって悔しかったりする。年末だ。ひとつの時代が終わろうとしている。

自分でも笑っちゃうほど、好きなことに全力を注いだ1年だったと思う。後半はすこし息切れしてしまったり、仕事が突然忙しくなってオタクどころではなくなったりもしたけれど、それでもよく遊んだ。遊びすぎたともいう。もっと早く仕事に対して真摯に向き合っておけばよかったと今更なことを思ったりもするけれど、でもやっぱり後悔はしていない。するわけもない。私はずっと、なにかを好きでいることに対して自分に寛容であってきたと思っていて、それは誇れる部分だと思っている。だって、好きなことを好きだと思って過ごす方が楽しいに決まっている。そう、楽しい1年だった。

年が明ける前に書き終わるかわからないけれど、この一年、たしかに私の力になり続けた人たちとの時間を記録として残しておく。34公演。

 

1/8 PENTAGON  “Violet” 発売記念ミニライブ@Zepp名古屋(昼・夜公演)

セブンティーンを通じて知り合った大好きな友人と昼食を食べてから会場に行った。雨が降っていたけど、傘を持ってきていなくて、コンビニでビニール傘を買った。あの傘はどうしたのだったか。寒い日で、昼公演が終わってから夜までの時間は、会場の近くのスタバで抹茶ラテを飲みながら時間を潰していた。オールミルク、シロップ抜き。当たり前だけど店内はユニボスだらけで、近くの席にいた子たちと仲良くなってちょっと喋った。夜は整理番号が2桁台で、2列めくらいでジノの姿ばかり見ていた。

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1/13 PENTAGON リリースイベント@よみうりランド

この日の特典はハイタッチとグループ写真。ツイッターで知り合ったフォロワーさんとこの日初めて会って、イベントの時間までずっと喋っていた。私の携帯カメラのスペックの低さとスタッフの撮影技術のお粗末さが相まって撮れた写真はぶれまくっていて悲しい思いをしたけど、ミニライブはめちゃくちゃ楽しかった。3部のミニライブではメンバーが客席の後ろから登場して、私のすぐ真横をジノが通って行って、ボードをちゃんと見て反応をくれたのも嬉しかった。それにしてもこの日は寒すぎた。イルミネーションがきれいだったけど、この前の冬には恋人と来た場所だったのでいろいろと思い出して心の中でちょっと苦笑いした。まさか1年後、アイドルのためにひとりで来ることになるとは思わなかった、よみうりランド

 

1/14 PENTAGON リリースイベント@お台場Venus Fort

個別写メと個別サイン会。ジノに「歌が好きですか?」と訊いた日。「すごく好きです」ときっぱり言い切った彼の笑顔を忘れることはきっとないだろうと思う。「今年もマガジンホやりますか?」と訊いたら「わかりません~」と言われたから、このあと2週間くらい、2018年最初のマガジンホが公開されるまでは気が気じゃなかった。Finesse最高だったな。

 

1/17 PENTAGON リリースイベント@新宿BLAZE

仕事が思いの外早く終わって、慌てて参加を決めたVIOLET最後のリリースイベントだった。会場の様子がわからなくてツイッターで訊いたら、「まだ入れますよ」と返事をくれたフォロワーさんが実は高校の後輩だったと発覚するのはこの数カ月後。雪混じりの雨の日だった。古家さんまで登場して、わりとちゃんとしたライブだった。楽しかった。ハイタッチはジノが一番手前にいて、ボードを見せたら「あっ」という顔をしてくれた。この日は当日販売の列に並んでいた人と仲良くなったのだけど、ハイタッチで私のすぐ後ろにいた彼女が「絶対あれは覚えてましたよ!」と言ってくれたので、覚えててもらえたのは気のせいじゃないんだと思う。数日前にも行ってるのだから、そんなに特別なことでもないのだろうけど、やっぱり嬉しかった。11月のスペシャルライブの時に即席で作ったボードはとっくにボロボロだったけど、この時のことがあったから、1年経つ今でもずっと同じボードを使っている。私のことは覚えていなくてもいいから、あのボード見覚えあるな、また来てるんだなと思ってくれてたらいいな、と思っている。

 

1/27 Musical “ALL SHOOK UP” 2回目

晦日に見た、ジノが出演するミュージカルがあまりにも最高で、どうしてももう一度見たくて、日帰りでスケジュールにねじ込んだ。前回と全然違うキャストで雰囲気もがらりと変わっていて、だけどジノはやっぱり最高だった。

2回めと3回めは感想をまとめきれなかったから、初めての鑑賞の時の記録しかないけれど、回を重ねると見えるものも増えて、それがすごく楽しかった。大好きな作品だ。

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2/10 札幌ゆきまつりK-POP Festival@ニトリ文化ホール(昼・夜公演)

TARGET、MONSTA X、セウンくんと一緒に出演していた合同コン。残念ながら席は全然良くなかったんだけれど、2部で隣に座っていたTARGETとMONSTA Xのオタクと仲良くなって、帰り道、ゆきまつりの屋台で一緒にご飯を食べたのがすごく楽しかった。連絡先も何も交換しなかったから、もしかしたらこの先一生再会することはないかもしれないのに、別れる時「またどこかで会いましょう」って約束したのをよく覚えている。元気にしているだろうか。

 

2/11 Musical ”ALL SHOOK UP” 3回目

あいかわらずもう一度観たい気持ちがなくならなくて、札幌から直接ソウルに飛んだ。体力的には限界だったけど、後悔はしなかった。帰りの飛行機の時間を勘違いしていたせいで、終演までいられずにソウル駅を死ぬほど猛ダッシュした。本当にぎりぎりで間に合った(あと5分でチェックイン終了だった)。このミュージカル、この日が千秋楽だったから、カーテンコールが一番楽しかったはずで、それを観られなかったのが今だに心残り。旅行は計画的に。もう日帰り渡韓はしない。

 

2/21, 2/22, 3/7 SEVENTEEN 日本コンサート “SVT” @横アリ,名古屋ガイシ

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3/17 MAGAZINE HO Mini Live

2018年最高の現場は、といわれるならこれを選ぶかもしれない。

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4/14 KCON in Japan 2018

合同コンが好きなのは、推しグループのパフォーマンス以外も楽しめるから。去年のKCONでGFRIENDめっちゃくちゃかっこいいじゃん!と思ったのだが、今年もその想いを新たにした。あとは以前から気になっていたStray Kidsがとてもよかったし、2PMのウヨンさんもたったひとりで広いステージをすっかり掴んでいるのがかっこよくてドキドキした。

 

5/30, 5/31 SEVENTEEN ”WE MAKE YOU” 発売記念ショーケース

楽しかった。セブンティーンをライブハウスで拝めるとは思わなかった。広いコンサート会場も好きだけど、雑然としていてほかの観客と熱を共有できる空間も楽しい。

 

6/9 SEVENTEEN “WE MAKE YOU” リリースイベント

ジュンに触れる日が来るなんて、思ってもいなかった。正直、記憶はほとんどない。

 

6/29, 7/1 SEVENTEEN 2nd World Tour in Seoul “IDEAL CUT” Day1・3

この公演は一生忘れないと思う。どの公演もいつだって胸に刺さるものはあるけれど、目に焼き付いているシーンが数えきれないほどある。スクリーンには抜かれていなかったけれど、ウォヌくんが挑発的な顔でカメラに向かって舌なめずりをしている姿を間近で見てしまって、心臓がとまるかと思った。そこからしばらく記憶が飛んでいる。ジュンのソロをこの目で見たのも絶対に絶対に忘れない。ホシくんとウジくんのナルスゴガラも鳥肌が止まらなかったし、本当はひとりひとりのソロについて言葉を尽くしたい。セブンティーンの公演はいつでも優しい。ほっとする。私の帰ってくる場所はきっとこれからもここだと思う。ウジくんの作る曲が好きで、セブンティーンが好きだ。これを書きながらちょっぴり泣きそうになっているくらい好きだ。

 

8/18 PENTAGON 1st Fan Meeting 〜僕たちの第一歩!〜 @品川ステラボール

いろいろ騒動があった直後のイベントだった。Shineの日本語版のMVをこのとき初めて見て、その場にいないイドンがすごく魅力的で、すごく寂しかった。あのときはそれでも戻ってくるんだと思っていた。まさかこんな風に終わりを迎えることになるとは思っていなかった。何が正解かなんてわからないけど、これで良かったんだろうかと思うことは今でもある。でも、彼らはそれぞれ決めたのだし、それにもう何かをいうことは私達にはできない。ファンにできる選択なんて、ファンでい続けることか、ファンをやめることかくらいしかないと思う。イドンがいるShineの日本語版MVは今見ても最高だ。

 

8/19 PENTAGON ”SHINE” リリイベ@ユニバーサルミュージック本社

とにかく運営がひどかった個別写メ会の日。CDの予約を忘れたばっかりに、イベントの参加券が手元にないまま会場に行って、優しさをもらった日。ジノに花束を渡した日。

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8/25 PENTAGON ”SHINE” リリイベ@ユニバーサルミュージック本社

一週間前の反省を活かしたのか、多少運営がマシになっていた。話すことを準備していったのに、土壇場でジノを前にして言葉に詰まってしまった。微笑みながら「ゆっくり~」とかけてくれた声は、今でもありありと思い出せる。この人を好きになってよかったなあと思った。私のあとにも何百人とサインをしなくちゃいけないのに、そういう優しい言葉をかけてもらえたことは、いくらそれがアイドルのしごとのひとつだとわかっていてもやっぱり嬉しかった。

 

9/4, 9/5, 9/6, 9/8, 9/9 SEVENTEEN ”IDEAL CUT” / "CARAT CAMP"

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9/22, 10/7, 10/27, 10/28 Musical "Iron Mask"

去年の年末から今年の2月にかけて出演していたAll Shook Upも結局3回見たけれど、今回は気がついたら4回見ていた。ストーリーとか楽曲はおるしゅごぷのほうが好きだったし、ジノの出番は少なくてちょっと物足りない気分もあったけれど、前回の出演から格段に実力をあげた彼の歌唱力に心を奪われて、また一段と深く好きになった。いつか主演はるところが観たい。言霊のちからに縋るつもりで言い続ける。いつか主演を張る姿を観られる日が来ると思っている。

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11/3, 11/4 SEVENTEEN "IDEAL CUT -Final Scene-"

アンコールコンサート、というやつに初めて行って、ああもうほんとうに楽しかった。ほんとうに楽しかった。最後はすこし体力切れしていたけど、私の体にまとわりついていた余計なものが削ぎ落とされていって、ただ楽しいとセブンティーンが好きという気持ちだけがきれいに残るみたいな、そんな公演だった。大好きだ、大好きだ。

 

11/14 BTS "LOVE YOURSELF" @東京ドーム

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11/25 PENTAGON "MOVINGon" @中野サンプラザ(昼・夜公演)

夏の入道雲みたいにもくもくと膨らんで大きくなったあの事件は思いもよらない結末を迎えて、どんな気持ちで会いに行けば良いのか、わからないまま会場に行った日だった。なのに行ってみたら、何を悩んでいたのかばかばかしくなるほどに、ただめちゃくちゃに純粋に楽しかった。ああ、こんなの離れられないや、とあっけなく結論が出た。あたりまえだけど直接の言及はなくて、だけどジノが言った来年は笑顔に満ちた一年にしたいという言葉にきっと全部詰まっていた。そこに彼らの覚悟を見た。そうだ、彼らはそう決めたんだ。私はまだそれについていきたいと思った。だから、2019年もジノに、ペンタゴンに、ついていく。

 

コンサートとかライブとか、そういう空間が大好きだ。その瞬間にしか存在できない煌めき、音、空気、色、その瞬間に全身全霊をかける人たち。書き残したことが、言葉にできずにこぼれ落ちていったものが、たくさんある。本当はもっともっと、きらきらした瞬間のひとつひとつにじっくりと言葉を費やしたい。でも、とにかく彼らのもたらす空間とか時間が最高だという、それがすべてだ。私がそれをわかっていればいい。2019年最初の現場は、なんと10年ぶりにまた好きになったビジュアル系バンドのギタリストのソロライブだ。今まで行ってきた現場と全然文化の違うであろう空気に、今からちょっぴりどきどきしている。来年もきっといい年になるといい。

無事に年内に書き終えた。数分前に、2018年最後のジノのソロカバー企画がアップされたという通知がきたばかりだ。残り数十分、2018年を思い返しながら、世界一好きなボーカリストの声に浸ろうと思う。

11と12のあいだ

10年ぶりに自傷行為をした。この10年間も、波はあったけど衝動がゼロになったことはなくて、ただ時間が痛みを忘れさせていくうちに怖さの方が勝って、せいぜいカッターを持つところまでだった。やってみたら案外痛くなかった。全然。なんだ、そんなもんか、という感じ。まあ、痛くないのはだいぶびびっているからで、傷は全然深くならなかったし、血も思ったより出ない。それでまだ自分に甘い、とか思って傷が増えていくの、ヤバイんだろうなという感じはするけど、自分がヤバイんだって思っとかないと壊れちゃうので、これはやっぱり逃げ道なんだと思う。かすり傷みたいなのが9本。全然足りていない。こんなもんじゃ苦しんだことにはならない。

昔から自分を大事にできないタイプで、中学の頃に自傷を覚えた時も、それが変だとわかっていながら隠そうとすることはしなかった。当然のことながら直接的にそれに触れる人間はいなかったし、でもそういう話はすぐに広まるもので、まだ若かった担任は心底心配した面持ちで私を呼び出して「なにか悩みはある?」ときいてきた。その反応に、期待はずれだと思ったのを今でも覚えている。心配されたかったというよりは、気持ち悪がられたかったんだと思う。

大学の頃に大失恋をかましたのも結局、自分が愛されるに足る人間だと思えなかったからで、恋人のことは自分には抱えきれないくらい好きだったけど、その好きに耐えきれなくなって、愛されることにも耐えきれなくなってわかっていて浮気をしたし、そのあとに恋愛のマネごとみたいにいろんな人と遊びまくったのも形を変えた自傷行為の延長上だ。今はそういうのに付き合ってくれるような相手もいないからカッターに戻ってきただけの話。明日会社行けるかなあ。この傷、会社の人が見たらどうなるんだろうなあ。うちの会社は噂話のまわる速度がとんでもないから、きっとあっという間に広がって今までとは少し違う目線を向けられることになるんだろう。産業医への面談をすすめられるとか、休職を勧められるとかかな。そんなことを考えてちょっと愉快になっている。

苦しんでいるくらいが自分にふさわしい、という感覚を矯正することはできるのだろうか。隠そうと思うのなら太ももに傷をつけるとかやりようはあるのに、わざわざわかっていて手首にやっているのも、どうにでもなれという感覚が消えないからだ。どうでもいい。全部壊れちゃえばいい。そんで苦しんどけばいい。ずっとすまし顔できれいな文章ばかり綴ってきたけど、そろそろ化けの皮が剥がれてくる頃らしい。全然だめだ。

181211

ぎりぎりのところにいる。ぎりぎり、だめな方。暇だった一年目がうそのように、仕事が、それはもうめちゃくちゃにしんどい。ニュースで残業が80時間とかって耳にしていて、一体どんな地獄なんだろうと思っていたけど、毎日4時間くらいの残業なんて簡単に超えるんだと知った。うちの会社は裁量勤務制だから残業代もつかないし、だから真面目に計算もしていないけれど、11月の残業時間は140か150くらいは達しているはずだ。平日はもちろん、休日も夜中の2時まで仕事をするのが当たり前になりつつあって、さすがにまずいと思うのだけど、どうすればいいのかがわからない。それらしく立ち回る術ばっかり長けているから、こういうのをほかのひとに話しても私がただ自分に厳しいだけで案外状況は私が思うほどに悲観的じゃないはずだと思われるのが関の山だけど、そうじゃなくて、本当に大丈夫じゃない。私のせいでいろんなものが進んでいない。きつい。プレッシャー感じて泣いてる暇があったら手を動かせばいいのに、パソコンに向かって画面をにらみつけるだけで4時間とか5時間とか平気で過ぎていくのはとっくに正常じゃない。正常だったことなんてたぶんないけど。体が動かない。あれをしなきゃ、って思って、明確にその行動をしている自分を頭に描き出すことまではできるのに、物理的空間に存在する私の体はぴくりとも動かない。身に覚えのある感覚なだけに怖い。あの頃と同じだ。いつかまたあの闇の中に戻ってしまうんじゃないかってずっと怯えていたことが、ひたひたとそこまで迫ってきているのを感じる。いちど鬱になった人は、永遠にそちら側には戻れないんだと誰かがいつだか言っていたけど、つまりはそういうことで、ここで踏みとどまれる人ならば最初から鬱になったりはしない。そこに闇がいるのをわかっていて、それから背を向けて歩きだすことも振り払うことも私にはできない。飲み込まれる以外の道はない。すぐそこにいる。黒い犬はどこにも行きやしないのだ。明日会社に行けないかもしれない。布団から起き上がれないかもしれない。怖い。

少し前にあった新入社員の歓迎会で、入社して一番変わったことは?という問いに、誰かが「自分が毎朝起きてるのが信じられません!」とふざけてこたえて、それに上司が「あたりめーだ、ばか」と笑いながら野次を飛ばしていた。今私がいるのはそういう世界だ。毎日会社に行けることがあたりまえの人たちが生きる世界。私はその世界の住人じゃないのに、必死に宇宙人であることを隠してそこで生きようとしている。違うんだよ。毎日起き上がれることがどんなにすごいことなのか、生命を維持する営みがどんなに大変なのか、考えなくても生きていける人間には私はなれない。だましだましどうにか一日をやり過ごして、死なずに生き延びたことに少しだけほっとするような世界があることを彼らはきっと一生知ることはない。断絶だ。そこにあるのは、絶対的な断絶だ。

仕事が嫌なわけではないんだと思うんだけど、こうやって自分を騙しているうちにとっくにだめになってたみたいなことは今までにもあったから、全然自分の感覚に信用がおけない。会社のひとは好きだ。がんばりたいと思う。思うだけで、何もできていない。この一ヶ月、何もしていない。なにもしていないのに300時間も働いてる。ううん、こんなの働いてるとすらいえない。無駄な時間を300時間。これが会社のお荷物じゃなくてなんだっていうんだ。

私ってこんなに頭が悪かったんだなあと言い訳がましく言ってみるけど、本当は頭の良さどうこうの問題じゃないことにも気が付いている。覚悟が足りないのだ。生きると決めてはみたけれど、まだ追い込み方が全然足りない。どこかに逃げ道を探して、そんなものはないのに目の前にあるものから逃げ惑っている。今まではそれでも良かったんだ、それで迷惑を被るのは自分自身だけだったから。そうやって責任を躱して生きていく術ばかり身についてしまった。だけどこと仕事においては、この体は私だけのものではない。私がだめで、色んな人に迷惑をかけている。まだ見捨てずにいてもらえているのは、運がいいだけだとわかっている。それでもこいつ思ったより使えないなという空気はたしかに流れている。期待なんかされないほうがずっとましだ。期待させることばっかりうまくなったってどうしようもないんだ。仕事のやり方はまだ教えてもらえるけど、腹の決め方は一体誰に教えてもらえるのだろう。やらなければいけないことを、やらなければならないのだと内臓に叩き込んでもらうことまで他者に期待して、とんだ甘ったれだと思う。こうやって自分を貶めるような言葉を吐いて、それで赦されることを期待しているのもたちが悪いと思う。覚悟が足りない。全然足りていない。誰かに決めてもらうのをずっと待っている。死んでいいよ、と言われるのを待っている。ゆるされたいんだ。私はまだ自分が生きていくことをゆるせていないらしい。生きるって決めたんじゃなかったのかなあ。もう消えちゃったんだろうか。

誰かに助けてもらいたくて泣き言いってみたりするけど、差し伸べられた手を自分が振り払うのも目に見えていて、大丈夫?ときかれても大丈夫以外に答えようがない。大丈夫と聞こえるように、笑ってうーん、あんまり大丈夫じゃないかもねとかいう。笑って大丈夫じゃないよといえるうちは大丈夫なんだろうと相手が思うことを見越してそういう。私は悩むの趣味みたいなものだから、と母は笑う。その表現が的外れだとは思わないけど、そういう風に見えるんだなあと思った。そういうのにいちいち傷つくのもやめたい。そうじゃなくて、だってどうせ、何を言ったって誰も助けることはできないじゃん。この状況をどうにかできるのは私しかいない。大人になるってこういうことなんだなあと思う。伸びをしようとしたらテレビの前にあったジュンのアクリルスタンドに手があたってゴミ箱に落ちていって、なんでこんなことになってるんだろうと思いながらゴミ箱の中から大事な人を拾い上げたりとかしている。生活。生きること。

靄を一気にぱっと取り払ってくれるような魔法を期待して、近所迷惑とか度外視で深夜2時に爆音でロックを流して部屋の中で飛び跳ねて声を張り上げて歌ってみたりしたところで、まあ現実はなんにも変わらないし胸の重しも消えたりしない。楽になりたい。たとえばここで明日会社に行かなくて、自分が設定した打ち合わせも全部ぶっちして会社に行かずに美味しいものとか食べに行って温泉入りに行ってみたところで楽にはなれないので、結局楽になるには死ぬ以外にないんだなあと思っている。死なないけど。絶対にまだ死んでやらないけど、でもそう思っている。生きていくと決めたということは、私は自分に楽になることをゆるさないことにしたのと同義でもある。優しくいることを諦める代償だと考えたら、そんなものなのかもしれない。生きてる人間はすごいし、そう考えることもなく生きることができる人間はなんかもう、意味がわからない。生きる世界を間違えたなあと思う。ここは合理性と効率こそが正義の世界だ。

私が慕っている上司は、日本画が好きな人だ。私も日本画が好きで、日本画以外にもいろんな絵が好きで画集がいくつか家にあるみたいな話をしたら驚かれた。私の周りじゃあまり珍しいことじゃないのだけど、たしかに家族と仕事が人生のすべてみたいな人が大半を占める私の会社ではめちゃくちゃレアなタイプであることはたしかだ。そういう生き方のほうが、私の会社で働くということと親和性が高いのだ。そういうのを馬鹿にするわけじゃないけど、そういう生き方にも、そういう生き方をする人にもあまり興味がない。そんな中で日本画が好きだという人が思いの外近くにいたから、はじめて知った時はびっくりしたし、すごく嬉しかった。この人に、私はほかにビジュアル系バンドとジャズとK-POPと演劇を見ることと小説を書くことが好きですと言ったらどんな顔をするのだろうと思ったらちょっと愉快になった。そうだ、そういうものが好きだ。非合理的で、美しくて、存在しなくても世界はまわるけど絶対に絶対にこの世界に必要なものが好きだ。生きる世界、間違えちゃったなあ。

死なない。10年ぶりにまた好きになったギタリストのライブに行くまで、歌への愛でもってして私を魅了したアーティストの歌を聴きに行くまで、世界一大事にしたいと願う人がステージで輝く姿をもういちど目に焼き付けるまで、絶対に死んでなんかやらない。だけど、どうすれば死なずにいられるか、もうわかんない。ぎりぎり、だめな方。

BTS LOVE YOURSELF参戦記

友達に誘ってもらって、BTSのコンサートに行った。彼らのことを私はあまりよく知らない。好きな曲もたくさんあるのだけど、近づきすぎてしまうときっとしんどいだろうなと思っているから、意図的に距離を置いている。とくに最近は、ちらほらと流れてくるものにも気持ちを毒されてしまいそうで、彼らにまつわることはできる限り目に入れないようにしていた。いろんな視線に晒されていることは知っているし、その諸々に何も思わないわけじゃないけれど、そういうのに言及することが馬鹿馬鹿しいと思っているから、言わない。ただ、彼らがどうこうじゃなくて、彼らの周りに簡単に転がっている、悪意に満ちた言葉に傷つきたくなかった。

正直、この日も仕事のことで頭が埋め尽くされていて、全然楽しみにするとかそんな余裕もなくて、仕事が終わる気配もなくて、なんなら直前まで行きたいと思えなかった。行ったら楽しめることはわかっていたけれど、そんな心持ちでステージを観に行くことは無礼だと思っていたし、私より行きたい人がたくさんいることも知っていたから、余計に気が引けた。だけどやっぱり、あたりまえのように行ってよかったと思っている。

EXO以来、2年ぶりの東京ドーム。熱烈に推しているわけではないぶん、ひとつひとつのステージを穏やかな気持ちで観ることができた。そのせいか、印象に残っているシーンがたくさんある。綺麗だった。すごく美しいコンサートだった。5万人近くが収容されるあの空間でも、いちばん遠い2階の後ろの方だった。チケットがとれただけでも奇跡のようなことだと思っていたけれど、誘ってくれた友人は私にもっと近くで彼らのパフォーマンスを見てほしかったのだとがっかりしていた。でも、私は天井席が嫌いではない。暗くなった会場を満たすペンライトの光がいちばんよく見渡せる特等席だと思う。ステージの照明演出もよく見える。アリーナ席にいればありありと感じられたのであろう熱気が、私達のところに届くまでに薄れてしまうのはすこし寂しいけれど、でも、天井席には天井席の良さがある。近いことだけがコンサートの楽しみ方じゃない、全然。これは前にセブンティーンのコンサートのときにも書いたことだけど、ペンライトの海の中心に光をはなつ彼らの姿があるのは、本当に美しい光景だと思う。彼らはいつも、ステージから見たその海の美しさについて嬉しそうに語るし、私が彼らの見ている景色を見ることは一生ないけれど、そのかわり、私が目にするあの光景を彼らが目にすることもない。もったいないなと思う。見せてあげたい。

コンサートとか、舞台とか、エンターテインメントの場が好きだ。そういう場を満たす空気が好きだ。だって、儚いから。永遠に続かないから。

アイドルなんて追いかけたってなんにもならない、という人がいる。そうだ、なんにもならない。歌とかダンスとか、ペンライトの煌めきとか大掛かりな舞台装置とか、べつにこの世界になくたっていいものだ。ステージってそういうものだ。この世界になくても良くて、すぐに消えてしまうものに、私たちは魅せられている。永遠じゃないことを悲しみながら、それでも永遠じゃないからこそ、その瞬間を愛している、そうでしょう。公演時間なんて、たったの3時間だ。生きている時間のうちの何%にもならない、たった3時間のために、必死で生きる人々がいる。見る人も、ステージのうえに立つ人も、ステージを作る人も、終わるためだけに存在する瞬間に全霊を傾ける。そうしてできあがるものが、美しくないわけないんだ。必要性とか生産性とか、効率とか、役立ちとか便利とか、そういう言葉ばかりもてはやされる息苦しい世界で、バランスをとって生きるためにぶつけられたエネルギーが放つ光の眩しさ鮮烈さ美しさは凄まじい。そういう場所に、過去も未来もない。あるのは眩いばかりの今だけ。それが生きてるってことだと思う。コンサートにいると、生きてるなあと思う。生きてることを知りたくてコンサートに行ってるような気もする。

彼らはきらきらしていた。スパンコールがたくさんついた絢爛な衣装に身を包んで、照明に反射した汗の雫も光っていて、そこには闇なんかないみたいにきらきらとしていた。何万人もの人間からいちどに視線を向けられるって、どんな感じだろうか。髪をかきあげるだけで、目を細めるだけで、下唇を噛むだけで、そこに生きて、存在しているというだけで、熱っぽい視線を向けられることは、息苦しくはないだろうか。恋をすることもできず、不特定多数の他人に愛されることは幸せだろうか。ファンは足枷になっていないだろうか。そして、それよりもずっと鋭く、彼らを傷つけようと明確な悪意を持った視線や言葉を向けられることは。そんなことを考えながら、ずっと光のあたるところにいる彼らを眺めていた。

Love yourself. その言葉の意味を、僕たちもまだ探しています。最後のMCでナムジュンはそう言った。愛することは難しい。自分も他者も。だけど、幸せでいてほしいと思った。いろんなことを全部抜きにして、どうか、ひとりの人間として幸せであってほしいと思った。彼らが自分自身を愛する方法の答えがステージのうえにあるんだとしたら、それは嬉しいことだなと思う。そうだったらいい。Love yourself、愛せるかな。愛したいね。

181113

昨日、たまたまテレビをつけたら、売れっ子脚本家の密着番組をやっていた。仕事は終わっていなかったのに、つい見てしまった。他人の創作過程を垣間見る機会はそうないから、こういうのはつい興味をひかれてしまう。だけど見るほどに悔しさの方が募った。どうして、今この瞬間にも書いている人がいるのに自分は書いていないのだろう。いちどそう思ったらだめだった。この1ヶ月半、うまくやり過ごせているのだと思った衝動は、全然消えていやしなかった。自分がやりたいことで名を馳せている人が、世界にはいくらだっているのだということも、私が書かずに生きている時間を他の誰かが書くために使うことができているのも、悔しくてたまらなくて、布団に頭を打ち付けたくなった。

文章で食っていきたいとか、著名になりたいとか、そういうのは全然ない。好きなことは仕事にしたらきっと辛くなってしまうから、私と書くという行為の距離感は、たまに会う恋人同士くらいの程よさが望ましい。四六時中愛の言葉を交わし合うような恋人たちを羨ましいと思うことはあっても、そういう恋愛が自分に向いていないことを、私はよく承知している。そうじゃなくてただ、私がやりたいことをほかの誰かにとられてしまうような、そういう焦りがある。見当違いだとわかっている、書くことは誰にとっても平等になしえる行為なのに。でも、私が書かずにいるあいだに、私が書きたいものをほかの誰かが書いてしまったら嫌だと思う、そんなことはたぶんないのだろうけど。私は言葉にすることで自分の輪郭を保っていて、だから書かなくちゃ生きていけなくて、それを他人に奪われたくない。書きたい。書きたくてたまらなくなって、いてもたってもいられなくて、今日もやっぱり仕事は終わっていないけど、23時までと決めて、久しぶりに私用のノートパソコンを開いた。

仕事のパソコンは毎日使っているにしても、常に私の生活の中心にあったシルバーと黒の薄べったい相棒に一週間以上触らなかったのは、はじめて自分のパソコンをもった7年前から考えてもはじめてのことだと思う。いろんなものが変わりはじめている。抗い続けた自分の中での変化に、少しだけ寛容になりつつある。

ひとつ何かができるようになると、それまでできたはずのことができなくなる。そんな、ぎりぎりのところで生きている。もともと、生きるために必要な力は人より弱くて、これでも昔に比べたらだいぶマシになったけれど、メッセージに返信できない、風呂に入れない、歯を磨けない、立ち上がれないなんていうのはもうずっと前からだ。好きなグループのことだってほとんど追えていなくて、最近はついに、食事をとれなくなった。食欲がないとか、ストレスのせいだとかじゃない。ただ、別のところに使い果たしてしまっているだけ。力配分が下手なばかりに、食べるという行為に割く力が残らないのだ。スーパーに寄って惣菜を買うとか、外食をすることすら面倒で、ただ家に帰ることしかできない。こういうときのためにとカップラーメンを買い溜めるようにしたけど、それだってしんどい。立ち上がって、お湯をポットに入れて、ビニールの包装を剥がして、捨てて、お湯を入れて、とか、それがまず面倒で、だったらいいかと食べるのを放棄するのもしばしばだ。体重は目に見えて落ちている。そうまでして己を傾ける先が仕事だなんて、たった数ヶ月前の自分さえ信じまい。

もう少し生きてみよう、と決心したのは10月のはじめのことで、それなら今は仕事を頑張るということが必要だなと判断して、それまで自分の生活の中心に据えていたものを一旦手放すことにした。アイドルも、文章を書くことも、人間らしい生活をすることも。未来の自分を引き受けることは、仕事に真摯に向き合うことでもあると思ったからだ。ちょうどその頃、会社で新しいプロジェクトに配属された。それまで、仕事が楽しいという人の気持がさっぱりわからなかった私が、今は楽しいとか思ってしまっている。なんだかそれが自分ではないみたいで、どちらかといえば仕事で活き活きするような人間にはなりたくない気持ちの方が強かっただけに、なんだかなあという感じだけど、きっと悪いことじゃないんだろう。生きる覚悟を決めただけで、こんなにも見えるものが変わる。よくできた世界だ。

今までの暇で退屈な日々が嘘のように、やらなくちゃならないことが流れ込んできて、私の前に積み重なっていくようになった。きちんと順序立てて、着実にひとつずつ片付けていけばいいだけだと頭ではわかっているのに、気ばかり急いてしまって、ひとりでパニックになっている。たぶん、ちゃんと作業に没頭できている時間より、頭が真っ白になってフリーズしている時間の方が多い。はじめの一年をのうのうと過ごしてしまっただけに、自分の無力さに苦しんでいる。今更悔いたところで何にもならないけれど、もっと勉強しておけばよかった、もっとできることを増やしておけばよかったと過去の自分を恨みながら夜が更けていく。それでも、やることがあると安心する。やることがあるというのは、必要とされているということで、その対価としてお金をもらうことに罪悪感を感じなくてもすむし、ここにいていいんだと思えるのは嬉しいことだ。

帰りは随分遅くなった。文章を書くことも、丁寧な生活を営むことも犠牲にすると決めたのは自分だけど、それでいいんだっけ、と思うこともしょっちゅうだ。でも、全部欲張れるほど私は器用な人間ではないのだから、仕方がないと思うより他にないのだ。三歩進んで二歩戻って、仕事のできない自分に不甲斐なさを噛み締めながら、それでも先週理解できなかったことが今日は理解できるようになったりしていて、たぶん、まるっきりダメなわけじゃない。そう言い聞かせている。生きると自分に誓ったあの日から、私は一度も死にたいと口にしていない。

誰かに憧れる、という感覚を、随分久しぶりに味わっている。私のことを気遣ってくれて、育ててくれようといろんなことを教えてくれて、きっと私には想像もつかないほど忙しいはずなのに、私が声をかけるときちんと時間をとって向き合って話を聴いてくれる人。まっすぐ目を見つめて、よく笑う人。明朗ではきはきとした話し方をする、めちゃくちゃ仕事ができる人。年功序列ではないうちの会社でも、指折りの若さで一番高い役職に上りつめた人。このあいだネットストーキングしたら10歳しか離れていないことを知って、追いかけたい背中が遠すぎてちょっと呆然としてしまった。きっと私はこの人のようにはなれないのだろうけれど、この人のことがすごく好きだ。楽しそうに仕事のことを教えてくれるから、なんだか私まで楽しいような気がしてくるし、同じ世界を見ることができたらきっともっと楽しいんだろうなと思う。昇進したいとか、そういう野心は私には似つかわしくないけれど、この人に認められたいという気持ちだけはすごくある。誰に憧れるというのはあんまり好きじゃなくて、だって誰かになりたいって自分の存在を認めないことと同じような気がしてたんだけどな。なんだか中学生とか、そんな頃に戻ったみたいで、青臭い自分がちょっと恥ずかしい。

今日、お客さん先での会議の帰り、その人とふたりで本社まで戻りながら色々話す時間があった。たぶん謙遜も入っているんだろうけれど、これだけ遠くにいるように見える人でも、自分の無力さとか不甲斐なさに悔しくて泣いたこともあったみたいな話を聞いて、すごく安心した。1年目、何もできなくて後悔してるんです、と言ったらそんなもんだから大丈夫だよ、と言われて、気休めでも少し気が楽になった。10年分をすこしでも埋めたいと思ったとき、この人だったら何をするだろうと考えている。頭のいい人だから、むやみやたらとがむしゃらに走るなんてことはきっとしないんだろうなというのはわかる。それでもどうすれば良いのか今は全然見えないから、とりあえず頑張ろうとしか思えない。まだまだなんだなと思う。自分の未熟さを思い知らされることが気持ちいい。

頭の中を掃除するみたいに書いていたら脈絡のない日記になった。早く書き上げて仕事もう少しやって寝ようと思ったのにもう1時だ。昨日も資料作りに唸って結局朝の4時までかかってしまって、そういう要領の悪さを自分で愛おしいと思わないでもないけれど、そうも言っていられない。この世界で生きると決めたからには、もっとしたたかにならなくちゃいけない。私はそれを自分にゆるしたのだ。

仕事が楽しい。折り合いの悪いなと思う人も同じチームにいるから、この先しんどくなることもきっとあると思うけど、このわくわくを忘れずに持っておけたらいいなと思って残しておく。