Let's Get Lost

僕に力をくれ、もっと強くなってみせるから

塗りかえて世界

金曜の夜、飲み会を終え、片付く気配のない仕事をどう週末のあいだに殺そうか考えているうちに、最寄り駅についていた。先月末に閉業した惣菜屋の建物はいつの間にかすっかり取り壊されていて、建物と建物のあいだにぽかりと居心地の悪い、唐突な空白が生まれていた。ぽつんと取り残されたショベルカー越しに、まばらな星が見える。意識していないあいだに時間が進んでいることを思い知らされて、胸の奥がそわりとした。このところ空を見た記憶があまりないなと思った。当然だ。仕事しかしていないのだから。いろんな要因が重なって、連日怒涛の残業が続いている。困ったことにそこそこ楽しんでいるので、見境のなさに拍車がかかる。あいかわらずのバランスの悪さなので、まともな食事はあまりしていない。あの店の惣菜はまた食べたかったのに、もう叶わない。

会社員になって1年半がすぎて、しばらくは自分はこの領域で食っていくのだろうなという専門分野が定まりはじめた。右も左もわからなくて自分の無力に泣いた時期を抜けて、なんとなくだけど、この世界の定石みたいなものも見えるようになりつつある。もともと事業内容に興味があって入社したわけではないから、何をやることになったってどうでも良かったのだけど、わかるようになることやできるようになることが増えるのは、それなりに面白い。進もうとしている道に納得できるのはけっこう幸せなことなんだなと、周りの同僚を見ていると思う。中身を楽しめることもそうだけど、なにより組織のなかについていきたいと思えるひとたちがいるのは、たぶんかなりラッキーだ。ここにいると、自分の未来を描ける気がする。

残業、ださいと思う。8時間という決められた時間のなかでやるべきことをやるのが仕事のあるべき姿だし、終わらないものは、むりして終わらせるべきではない。終わらせる必要はない、じゃなくて、終わらせるべきじゃない。終わらせるまで頑張れよみたいな考え方のひとはいくらでもいるけど、私の生活は、感覚は、そんなに安くない。アイドルとか音楽とか短歌とか詩とか演劇とか文学とか絵画とか美味しい料理とかコーヒーとか酒とか、道端の草花とかがあふれる世界にあって、仕事の重要性なんて、その何厘にも満ちやしない。

そんなことを宣ってみたところで、こんなに働いていたら説得力も何もあったものではないけれど、その気持ちは今でもぜんぜん変わっていない。仕事を軽視したいわけでも、面白くないと思っているわけでもない。ただ、仕事だけに視界を明け渡してしまってもいいと思うには、世界が面白すぎるのだ。それでもこうなっているのは、けっきょく私がクソがつくほどの真面目で、強迫的なまでに責任感が強くて、バランスをとるのが致命的に下手くそな不器用だから、でもあるけれど、目が回るほどの忙しさを甘んじて受けいれているのには、もうひとつ理由がある。

かつて惣菜屋だった空き地をいちどは通り過ぎてから、それだけの時間、脇目も振らずに仕事に没頭していた自分を褒めてもいいかもしれないとふと思った。引き返して、スーパーでハーゲンダッツを買った。そうして帰宅して、今週はほんとうに頑張ったな、と思いながら紅茶を淹れた。長いこと自分のことを甘党だと思っていたのだが、久しぶりに食べたハーゲンダッツは思っていたよりもずいぶんと甘すぎて、ゆっくり時間をかけないと食べきれなかった。自分が変わったのだなと思った。そう、変わった。自らを評するのに真面目だとか、責任感が強いだとかいう表現を用いることもなかった。むしろ大雑把で、すぐに諦めて放り投げるような、責任感が希薄で怠惰な人間だと思っていた。どうやらそれが、度を越した几帳面を裏返した結果だったらしいということに気がついたのは最近の話だ。今週はほんとうに頑張った、と自分で思える、そんなこと、25年半生きてきたなかで初めてなのだ。自分が頑張れている、そう思えることが嬉しくて、多少のしんどさには寛容になっている。

中途半端で終わるくらいなら、潔く諦めるべきだという考え方は、もうすっかり骨まで染み付いている。救いようのない諦め癖に冒されているから、完璧主義なんて格好のつくものではない。そんなに追い込まなくても大丈夫だ、もっと楽に構えなよといろんなひとに何度も声をかけてもらったけど、私にとっては、「これでいいのだ」と折り合いをつけることの方が、ずっとずっと難しい。未完成の状態にとどめてしまうことで、自分の能力が足りていないと思い知るのが怖いのだ。それで、はじめから戦う土俵に立たなければ、勝負の結果はつかないじゃないか、などと言い訳をする始末である。ほんとうは、そんなのは、不戦敗に過ぎないのに。

投げ出すとか先延ばしにするという選択肢など目をくれず、自らのやるべきことに注力できる優秀な同僚たちのことが羨ましかった。彼らは、いつでもやり遂げることをまず考える。考えることができる。それは未来に対する信頼だ。彼らは死を望んだことはあるのだろうか。いちど死にたいと思った人間には、戦わないことを選ぶ誘惑が常につきまとう。生きていくと決めて、気づけばもう半年が経っているのに。私が戦わなくちゃいけないのは、世界でも、他者でもなくて自分なのだと、仕事をしているといつも思う。

そもそも私はひとにくらべて、時間の概念が希薄だ。時計の針が進んだ先に未来が存在するのはわかるけれど、それが現在の自分とつながっているという実感がない。直近の未来ならまだしも、数カ月とか数年先のことになると全然だめだ。自分が生きている姿を想像できない。私が自らを未熟であると認めることに病的な抵抗をおぼえるのはそのせいだ。「次のチャンス」だとか「未熟な今よりも成長した自分」の存在を前提にできない人間には、今しかないのである。

だからといって、完璧にもたどり着けない。当然だ、私は未熟なのだから。でもその事実と向き合いたくないから、諦めることを選んできた。やればできる自分に幻想を見ることしかできない、成功体験に欠けた人間はそうして形成される。

他者に評価されようと、結果が良かろうと、「自分はじゅうぶんな努力していない」という感覚に勝るものはなかった。四半世紀を生きてなお、自分は努力した、と胸を張って言えるものがない。ひとは記憶を美化するいきものであるとか嘘でしょう。私の過去を眺めて浮かんでくるのは「ああすれば良かった」ばかりだ。高校時代の友人の大半と疎遠になってしまったのは、それをまるごと手放したかったからかもしれない。


「ふだんから頑張っていないと、いざという時に頑張れなくなってしまうよ。」

中学のときの担任に言われた言葉だ。当時着任3年目くらいの教員だった。卒業して以降会っていないから、私の中で先生はずっとあの時の姿をしている。今の私とそう年の変わらないはずの彼女のその言葉は、もう10年近く経つのに、いまだに深々と刺さっている。当時から私は自分がまわりにくらべて頑張れない人間であると思っていて、そのことに引け目を感じていた。かといって、なんとなくで中の上くらいをキープできてしまう現状にあって、自分を納得させられるくらいに頑張る貪欲さは、私にはなかった。

なにより、何をしたら頑張ったことになるのかがわからなかった。頑張れという人はたくさんいるけれど、彼らは頑張り方を教えてくれるわけではない。何時間勉強しましたとか、毎日運動しますとか、いろんなひとが、いろんなことを頑張っている。そういう話をきいて、すごいな、頑張ったのだなと思う。だけどそれはあくまでもその人が何を頑張ったかの話で、「頑張るとは何か」という問いのこたえではない。同じことをしたら私が頑張ったことになるかというと、それも違う。

頑張り方を知らないまま会社員になって1年が過ぎた頃、配属されたプロジェクトで、初めて「なんとなくではどうにもできない」という状態に直面した。割り振られた作業を、自力で終わらせることができない。仕事のこわいところは、毎日が期末レポートの提出日みたいなところで、なおかつ学生時代と決定的に違うのは、自分のやっているタスクが自分だけで完結しないところだ。たとえば期末レポートの提出を諦めて単位を落としたところで、困るのは自分だけ。まあ、留年とかしたらすこしは周りに影響が出ることもあるかもしれないけれど、それにしたって限定的だ。だけど会社ではそうはいかない。自分がやらなくちゃいけないことをきちんと終わらせられなかったら、ほかの人に迷惑がかかる。なのに、今までなんとかなってきてしまったから、いまさら他者に頼る方法もよくわからなかった。だいたい、その人達だってそれぞれ自分のやらなくちゃいけないことを抱えているから、むやみやたらと助けを求めることもできない。代わりにやってくれるひともいない。やらないもできないも、はなから選択肢にないのだ。

「頑張ったけど、だめだった」という状況が存在しうる、ということを理解できなかった。だめだったのならそれは頑張っていなかっただけじゃないか、そう信じ込んだ。じゅうぶん頑張っている、と言ってくれる人たちは、いかに私が怠けているかを知らないだけなんだ、全然足りていないんだって思っていた。だってそうじゃなきゃ、自分がその程度だと認めることになってしまうから。

自分を責めるのは楽なのだ。自分が変われば、自分がちゃんと努力できさえすれば、この状況も変わるかもしれないという希望を持てるからでもあるし、自分を責めることで、頑張っていない自分を正当化できるように思えるからでもある。こんなにつらい思いをしてるんだから、頑張れなくたって仕方ないよね、みたいな甘さが自分を嫌悪する気持ちのうらにあることを、私はよく知っている。最低だ。自己嫌悪は自傷行為だけど、自慰行為でもあるのだ。というより、自傷行為が自慰行為そのものというのが正しいかもしれない。手首や太ももに傷をつけていた頃と寸分たがわぬ感覚だもの。

深く刻み込まれて轍のようになった思考から抜け出すことができずに、とうとう年末は調子を崩した。死ぬのはやめると自分に誓って以降、いちども口にしていなかったはずの「死にたい」が、いとも簡単に戻ってきて、真っ黒な衝動に自分の内側が塗り潰されていく感覚が怖くて毎日泣いていた。ただでさえ芳しくなかった仕事でのパフォーマンスもみるみる落ちた。ぼろぼろになっていく私を見かねたのか、あるいはよほど使えなかったということなのか、とにかく上司は年明けからチーム異動できるようにはからってくれた。その話を持ち出されたときも、やっぱり自分の力不足を突きつけられたように感じて落ち込んだけれど、かといってチームに残る選択肢はどう考えてもなかった。

結果的にすこし負荷の軽いチームに移動したことと、相性の悪い上司から距離を置けたことが幸いして、春先にはまた死を望まなくても生きていくことができるようになった。そんな感じでだいぶ調子がよくなった実感が出てきた折、私が敬愛してやまない上司と面談する機会があった。そのひとは、立場上すこし離れたところにいるので、その頃は直接いっしょに仕事をしていたわけでもなかったけど、なぜだか私のことをずっとかわいがってくれている。調子を崩した時も、ほかのチームメンバーからそのことをきいて、年末の忙しい時期にわざわざ時間をとって話を聞いてくれたのだった。年が明けてからはさらに顔を合わせる機会も減っていたのだけど、たまたま社内で偶然出くわして、10分ほど立ち話をしたときがあって、最近はまた元気になりましたと伝えたら、良かったと嬉しそうに目を細めてくれた。私はそれだけでじゅうぶんだった(彼のような忙しいひとに、私のために時間を割かせるのは気が引けるから)のだけど、その日の夕方、社内のチャットツールで連絡がきた。今日はゆっくり話せなかったから、今度時間をとりましょう。直属の部下でもなんでもない私のことを、そうやって気にかけてくれることがすごく嬉しくて、緩んだ口元はしばらく戻らなかった。

あのとき、もっとああしておけばよかったってどうしても考えちゃうんですよね。その面談で、作業をさばききれていなかった年末を思い返して私がそう言ったときのことだった。そのひとはわかるなあと苦笑いをして、それから「でもさ、」と言葉を続けた。

「かりに、そのときの自分とまったく同じレベルの知識と経験しかない状態に今もういちどなってみたとして、そのときよりもうまくできるかって言ったら、たぶん、できないじゃんね。そのときの自分にできる最善の決断を、そのときの自分はしたでしょう。だったら、それはちゃんと頑張ったってことに、俺はしちゃうかな」

あなたは頑張っているよ、なら何度も言われてきたけど、それは、彼らの目に私が頑張っているように見えるらしいということ以外、私にとって何の意味も持たなかった。そういう優しさと、このときの上司の言葉が決定的に違ったのは、頑張るという言葉の定義が明確だったことだった。

頑張るって、そのときに自分が選びうる選択肢の中で最良のものを選ぶことなんだ。氷が溶けたみたいに、すっと馴染んだ。

「それに、次はもっとうまくやれるでしょ?」

そうですね、と私が頷くと、それでいいんだよと返された。いいのかもしれないと、ほんとに思った。

世界は変わっていない。私がいるのは、過程が評価されない、「頑張ったけどだめでした」が通用しない世界のままだ。それでも、その言葉があったから、私の目に映る自分も、私の目に映る世界も、全然違うものになった。自分はがんばれていないと、最善を尽くせていないと思っていた。まちがった判断をたくさんして、そのときのことをずっと悔いてきた。だけど確かなことは、間違えようとして間違えたわけじゃないのだ。正解ではなかったかもしれないけど、そのときの自分に最善に見えた道はたぶん選んでいた。そういうふうに自分を見てみると、ちょっとくらい認めてもいいような気がした。そんなふうに自分のことを素直に肯定できた経験はなくて、ほとんど泣く寸前だった。

心臓に刻みつけた。何かを選ぶとき、それが自分の手持ちの選択肢のなかで最良かどうかを考えるようになった。そうしたら、ジノやレイちゃんが繰り返し口にする「努力」という言葉が、まえよりもすこし近く感じられるようになった。眠ることが怖くなくなった。どうしようもなく疲れて動けないときも、動かないことがその瞬間にとっての自分には最良なんだと思えるようになったから、自分のことをだめだと思わなくて良くなった。最良だと思って選んだはずの道があとから振り返ったときには間違っていたなんてことはきっとたくさんあるんだろう。いつかそれに気付ける日が、きっとくるんだろう。そのときが楽しみになった。未来が、楽しみになった。

ジノがいつだか言った「自分は狂うほど努力をしている」という言葉が、途方もなくて、想像もつかなかった。遠くに感じて悲しかった。だけど、今はすこしわかる気がする。ジノと対等でありたいと願いながら、彼を追いかけて飛び回ることの矛盾に、ほんとうはずっと気づいていた。だって、追いかけるということは、彼よりも後ろにいるということだ。いつまでもそこにとどまるつもりはない。次に会うときはきっと後ろめたさを感じなくてすむはずだ。

仕事に心も生活も奪われる気なんかない。世界を諦めるつもりなんかさらさらない。それでも、自分の未来を引き受ける覚悟をしたから、たぶん今仕事に注ぐのは悪い選択じゃないはずだと思って、いけるとこまでいってみようかなとか思っているのだ。

190428

安宿の、けっして快適とはいえない寝心地のベッドで目が覚めたのは11時になる頃だった。そこからまたしばらく微睡んで、正午をまわってどうにか宿を出た。睡眠をきちんととると、こんなにも体は軽いのか、と驚く。予定は何も決めていなかったので、宿から大通りに出て、なんとなくで左に進むことを決めた。はじめてひとりで旅行をしたのは2年前の夏に香港に行った時だが、そのとき以来、すっかりひとりで動き回る楽しさに魅せられてしまった。友人と行く旅行もそれはそれで楽しいけれど、やはりひとりに勝るものはないと思うのは、こういうときだ。何も決めず、感覚だけで、その瞬間に右か左かを決めてそちらに歩き出せる時。

大きめの交差点までたどり着いて、さて次はどちらに進もうかときょろきょろしていたら、ビルの向こうにゴシック様式の高い尖塔がそびえているのが目に入った。明洞大聖堂だ。大型連休中の明洞なんていつもにまして日本人が多そうで避けようと思っていたのだが、ふっと心を惹かれてそちらに行くことにした。明洞の中心部からすこし離れたところにあることもあるし、なにより、今日は礼拝堂の中に入ってみたくなったのだ。昼は過ぎていたからてっきり礼拝は終わっているのかと思ったのだが、中に入ってみると、ちょうどミサの最中だった。日曜は、朝から昼にかけて幾度かに分けて礼拝をやっているとあとで知った。

私自身は信仰を持たないけれど、中学から大学までの10年間をキリスト教校で過ごしたせいか、教会という場所は好きだ。カトリックの荘厳な空間であれ、プロテスタントの素朴な空間であれ、祈るための場所は、時間の流れが穏やかで、外の世界とは確実に異なる、静謐で重たい空気が満ちている。日常の喧騒が遠のいて、慌ただしさでささくれていた心がふっと凪ぐような空間。

礼拝に参加するのは、学生時代ぶりのことだった。席は後ろまで埋まっていて、遅れて参加したひとたちが溢れて後ろの方に立っていた。私もそのなかにまぎれて、ところどころ聞き取れる神父の言葉を理解しようと努めながら、信仰の溶けた空気を取り込もうと何度か深呼吸をしてみた。祈りの場の空気というのは不思議とどこもひんやりとしているような気がするが、比較的温かい日だったからか、ここはなんだか柔らかいような気がした。迷い込んだ観光客として、この美しい空気を乱したくはなかったから、周りにならって祈りを捧げてみた。信仰を持たないと自覚しながら、宗教的な儀式を模倣するのは、果たして礼を失していることになるのだろうかという迷いはあったけれど、すくなくとも、あの場で同じように振る舞うことが、彼らに対する敬意だと思ったのだ。礼拝が終わっても、自分が何を祈りたいのかはわからないままだったけれど。

祈るひとが私はとても好きだ。ひとが祈りを捧げる姿は美しいと思うし、信じるものがあるひとはしなやかだ。彼らの視線や言葉の向かう先に在るものを、私は知らない。触れることもできない。神よ、そこにいるのですかと胸の内で呼びかけてみても、こたえはない。羨ましい、と思う。信仰とはなんだろうか。信じるものを持った先に見えるのは、いったいどんな世界なのだろう。この美しいひとびとの目を通して解釈する世界を、私は見てみたい。その場にあって、明らかに異端である自分に所在なさを覚えながら、そんなことを考えていた。

礼拝がおわって、外に出たとき、ずいぶんと自分の心が落ち着いていることに気がついた。私がコンサートを口実にあちこち飛び回るのは、気が急いてばかりの日常から逃れて呼吸を取り戻したいからだけど、まちがいなくその目的を果たすことのできたひとときだった。ほんとうは日本にいるときも行きたいとずっと思ってはいるのだけど、朝が弱いという致命的な弱点のために、今のところ実行できていない。

礼拝が終わったのは13時で、コンサートの開演時間までは4時間近くあった。はてどうしようか、とぼんやり大通りを歩いているうちに、美術館に行ってみたいと思ったことを思い出した。ソウル市内の美術館を検索していくつか出てきたもののうち、韓国の伝統美術から近代美術までを網羅した展示があるという紹介文に目が留まった。お、面白そうじゃんと調べてみたら、なんとコンサート会場と同じ最寄駅だという。私はここに行くべきだったのだと直感して、迷わず電車に乗った。神は信じていないけど、こういう運命みたいなものはけっこう真剣に信じている。

漢江鎮駅から徒歩5分、坂道をすこしのぼったところにある三星美術館リウムは、館名そのままサムスングループが運営しているとかで、洒落た風貌の立派な建築だった。サムスンが漢字表記で三星であることを初めて知った。私は昔から歴史がからきしなのだが、異国ともなればなおさらで、知識皆無の状態で臨んだ伝統美術の展示はおもしろかった。とくに磁器の展示は、個人的にもともと好きなこともあって楽しかった。青磁器や白磁器の美しさには心を奪われた。唐草紋、雷紋、雲紋といった模様の名称や、陰刻、陽刻、象嵌といった装飾の手法の名前まで、知らないことがたくさんあってにやにやした。それからすごかったのは、音声ガイドだ。作品に近づくと、自動的にその作品の解説が流れ出すのには驚いた。しかも1000ウォンで借りることができる。日本だったら500円とかするのに。韓国はたしか特定の日にミュージカルや映画のチケットが安くなるみたいな制度もあるときいたことがある。芸術にお金を惜しむようなことはしたくないけれど、ハードルが低いのはすごく羨ましい。

伝統芸術館を4階から1階まで見てまわって、それだけでも1時間半はゆうに過ぎていた。空腹に耐えかねて館内のカフェで軽食をとり、それから現代美術の展示館もまわった。おもに印象派の絵画が好きな身としては、いまひとつとらえどころのない現代美術には苦手意識があったけど、こちらも面白かった。食わず嫌いだったのかもしれない。最初は音声ガイドをつけずにぐるりとまわって、そのあと気になった作品に戻って解説をきく、というやり方をしてみたら、これがもう超楽しい。静かな館内でなんどへえとつぶやいたかわからない。結局ひとつひとつ解説を聴きたくなってしまったものの、時間切れで飛ばし飛ばしにしてしまったのがとても心残りなので、また時間があるときに行きたい。あらためて、この国のことをなんにも知らないのだなと思う。アイドル以外のこの国について知る、というのは私がひそかに今年の目標に据えていることでもあったので、そのとっかかりをつかめた気がして嬉しい。

そんなこんなでコンサート会場に駆け戻った。ちょっぴり考え込んでしまうところもある公演だったけれど、彼らが楽しそうでそれがすごくよかった。そのあと会いたかった人にも会えたし、美味しいものを食べながらゆっくり話せたし、きちんと呼吸を整えることができた日だった。何度も訪れるうちにわかるようになったことはたくさんあるし、たまには他の場所にも足を伸ばしたいなと思いつつも結局また来たくなってしまうのは、やっぱりこの土地が好きだからなんだろう。はじめのころよりずっと好きになっている。毎回新しい表情を魅せてくれるこの街が好きだ。次はいつだろう。

190401 夜が明けて春

日付が変わった。多くのひとにとっては新しい一年のはじまりのようだ。私にとっては次の一週間、次の一ヶ月のはじまりに過ぎないけれど、周囲のどこか心もとない空気に感化されて、少しばかりうしろを振り返ってみることにする。ちょうど2年前、大学院を退学したときの文章を読み返して、良いことを書いていたなと思った。このときから自分はずいぶん変わった。変わりたくなかったと思うことも、失ってしまった感覚も、記憶も、信念もたくさんある。たとえば、まえほど優しい人間ではなくなってしまったように思うこと。感覚を蔑ろにして、惰性で日々を蔑ろにすることを受け入れ始めてしまったこと。それでも、変わらないものもある。そのことにすこしだけ、胸を張れるような気がする。

 

***

今日付けで、大学院を退学した。退学届は先月既に提出していたけど、書類上学生という身分を名乗ることができるのも今日まで。明日から私はどこにも属していない人間になる。23年間生きてきて、所属がないのは初めてかもしれない。社会人や院生として立派に生きている周りと己を比較して溜息をつきたくなることもしばしばだし、不安はあるけれど、何か/どこかをrepresentするでもない「ただの私」としていられる期間は、もしかしたら貴重なのかもしれない。周囲のひとびとが新しい生活へ踏み出そうとしている姿を見ながら、私も前に進みたいなあと思っている。退学はその第一歩だ。

自分の存在価値を疑い、否定し続け、悩んで苦しんできた約3年間に、ようやく区切りをつけられそうな、そんな光が最近見える。

いつだって志高く生き続けることができるほど私は強くない。負の感情に飲まれることも、誰かを馬鹿にしたり敵意を抱いたりすることも、傷つけてしまうことも、きっとこれからもある。だからこそ人間は神にはなれないし、そういうぐちゃぐちゃした「人間くささ」こそが美しさであるということも、演劇に関わるようになってから感じたことである。それでもそういった負の面を持っていることは、他者を傷つけていいことの言い訳にはならない、というのがこの半年考え続けて辿りついたひとつの答えだ。たとえ理屈が通っていようと正論であろうと、誰かを傷つける権利だけは、誰にもない。傷つけられるに値する人なんて絶対にいない。

まわりまわって就職活動という選択をしてみて今思うのは、社会に望まれるのが強い人であるということだ。頭が良くて、はっきりと自己主張ができて、実行力があるような人たちだ。どこの企業も似たり寄ったり、チャレンジ精神だとか変化に適応できる柔軟性だとか、表現は違えど「強い人」を募集していることに違いはない。そりゃ、そうだよね。すぐに心折れて立ち上がれなくなってしまうような人を採用するメリットが企業にあるはずもないのだから。すなわち、私が生きていこうとする社会では、強さとは正しさであるらしい。

だからといって弱さが正しくないものであるということにはならない。はずなのに、弱さを抱える人たちは、やっぱり社会に必要とされていないような、見えない冷たい視線に晒されているような気持ちになる。強い人たちがひっぱっていく社会は、弱い人たちには生きにくい。ネットの海でたまたま見かけた赤の他人への誹謗中傷にでさえ、体がすくんで動けなくなる程度の精神力しかない自分など、社会には必要とされないんじゃないかと怖かった。歩けばそこら中に転がってる悪意に躓くような世の中で生きなきゃいけないのならばいっそ生きてるのをやめた方が、って考えたことは何度もある。

でも今死んだら、何もできなくなる。行きたい場所もある、学びたいことがある、飲みたいお酒も食べたいものも、聴きたい音楽も撮りたい写真も書きたい文章もある。なにより、愛している人たちにもう会えなくなる。生きたいと思う理由も、死にたい理由と同じくらいこの世界にある。本当は死にたいんじゃなくて、生きるのが怖いだけなのだと気が付いたとき、せめて同じように弱い人たちを否定することだけは、私は絶対にするまいと決めた。完璧に実践できなくとも、心に留めておこう、と。どれくらいそれが意味のあることなのかはわからないけれど、同じように生きるのが怖いと思う人が、少しでも減ればいいと。

「数で勝る」というのも、間違いなく強さの一つだ。或いは、数で勝ること自体が正しさの根拠とされているがゆえに強さを振りかざせるのか、どっちが先かは定かではないけれど。

強い人たちが率いていく社会の恩恵を享受して、私はこれからも生きていくのだろう。でもその後ろには、言いたいことを言うだけの強さを持てずに声にならなかった言葉や、マイノリティであるがためにかき消されてしまった言葉が必ずあるのだということを、私は絶対に忘れない。今どこかで傷ついていて、つらくてたまらない人たちがいることから、私は目をそらさない。

学ぶうえでの軸であり続けたこの言葉を、学生でもなんでもなくなる、ただひとりの人間として、問い直したいと思う。

世界人権宣言 第2条
全ての人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

世界のあちこちで降っている雨があがって、いつか虹がかかりますよう。

 

***


このときに比べて、私は強くなった。強くなってしまった。同じように弱かった人に、私も同じだといっても信じてもらえなくなってしまった。遠くなったと言われた。自分のことのように感じられた痛みを、感じなくなってしまった。それはまるで、自分が切り捨てる側にまわってしまったようで、すごく悲しい。強くなりたくなんてなかった、でも強くならなくちゃ生きていけなかったんだ。自分を赦せないと思うことばかりだ。でも、強くなったからこそできることもある。私は声をあげられるようになった。かき消されてしまった言葉の代弁者になろうなんて大それたことを言えるわけじゃない。それでも、口を噤むことしかできなかった昔の私のぶんまで、私は言葉にする。それが自分を愛することだと思うし、もしかしたら知らない誰かを愛することにもなるかもしれない。そうだったらいい。強くなった自分も愛したいから、2年前の私に書き加えたい言葉がある。

Justice is about making sure that being polite is not the same thing as being quiet.
正義とは、沈黙が礼儀と同義ではないということを確かなものにすることである。  

雨はまだ止まないかもしれない。濡れている誰かに傘を差し出すことくらいはできる人間でありたい。

 

 

IMFACT Live Tour Tokyo 参戦記

行き場のない感情が暴れまわって、先週の水曜日は帰宅してからずっとため息ばかりついていた。吐息にのせてどうにか体の外に逃がそうとするんだけど、それまでのことを思い出しちゃってうまくいかなくて、そうだこういう時のために言葉があるんじゃんと思って縋り付くようにevernoteをたちあげた。感情の振幅が広いのは悪いことじゃないと思っているけど、体力は奪われる。その感情が負のものであれ、正のものであれ、だ。ライブが終わって一週間も経つというのに、なおも彼らのことばかり考えていて、こんなはずじゃなかったんだけど。こんなに、好きになるはずじゃなかったんだけど。

相変わらずそこそこ残業とかしていて、自分が仕事できないことを白日の下に晒しているみたいでダサいなあと思いはするんだけど、だからといってばりばり片付けるほど有能じゃないのも事実だし、そんな無理をしたところで終わらないものは終わらない。やることなんていくらでも湧いて出てくるから、定時とかいう概念はあんまりうちの会社にはない。大好きだったはずのアイドルにこれっぽっちも力を割けないまま、疲れたなあと思っているあいだに毎日が過ぎていくみたいな感じで、こんなはずじゃなかったと思いながら抗うこともできなかった。そういうところに、毎日きっかり午後五時半には終わる3日間の社外研修と、彼らのライブの日程が重なっていたのは、ほんとうにもう運命のいたずらかもしれない。

チケットをとった時、ほんとに楽しみでわくわくしていたライブだった。去年いろんな公演に散々行った代償なのか、いつしかライブがやや惰性的なものになっていたのは確かで、だからこんなにわくわくしているのは随分久しぶりに思えてちょっぴり悲しくなったけれど、とにかく楽しみだった。まあ、それだってけっこうすぐに仕事に飲み込まれてしまっていたのだけど。月曜になっても、火曜の昼休みにチケットを発券しに行ったときも、「ああ、今日ライブなんだっけ」くらいの他人事感だった。だけど、研修が終わって屋外に出たら、まだ陽が落ちきっていなかった。久しぶりに夕暮れの空気をちゃんと肺に満たして、それでやっと、今からライブに行くんだって嬉しくなって渋谷に向かった。

ラブホテルがひしめく街にある、はじめて行くグループの現場は、今まで行ってきた現場とは全然ファン層が違った。それにちょっと気圧されてしまって、日頃ひとり行動に抵抗がある方ではない(むしろ好む)私にしては珍しいことに、友人が早く現れてくれるようにと、半分くらい祈るような気持ちでいた。ライブハウスの前の一番人口密度が高いところを遠巻きに眺めつつ、コンビニで買ったホットドッグを無言で口に押し込みながら開場を待っていた。

その友人があれよあれよとこのグループに足をとられていく様子は、ツイッターで遠巻きにずっと見ていた。自分まで攫われるつもりはなかったのだが、あまりにも楽しそうなものだからすこしばかり興味を惹かれて、いくつか曲を聴いてみたら好みだった。5人しかいないからメンバーもすぐに覚えた。それでも、ライブは絶対楽しいよと受け合う友人を疑うわけじゃなかったけど、ライブに行こうと思うには、まだあと一歩足りなかった。

けれど、突き落とされるのは、そこからそう遠い未来の話じゃなかった。友人に勧められたそのグループの曲をYouTubeでバックグラウンドで流していたところだった。曲がひとつ終わって、自動再生で次に移る。広告を飛ばすのが面倒でそのままにして、15秒の雑音に耐えて一瞬の空白ののち、耳に飛び込んできた尖った音のイントロは、それまでに聴いたことのなかった曲だった。

私は音楽については運命の出会いみたいなものを信じていて、つまりその曲が好きかどうかというのはだいたい一音目でわかると思っている。そういう意味で、その音は間違いなく、私の心臓の真ん中を突いたのだった。だけど、あ、好きなやつかも、と思う間もなく、重なった声の方に一瞬で心を奪われた。息の割合が多い、繊細な声。なんだこれ、と混乱しながら画面を切り替えて、美しい横顔をもつ青年が歌う姿に、視覚まで奪われて、もうどうしようもなかった。あ、この人のことが好きだ。そうはっきりと心に刻みつけて、5回ぶっ続けで同じ曲を繰り返して聴いて、それから迷わずに公演のチケットを買った。

開場まで感じていた心許なさは、薄暗いライブハウスに入ると幾分落ち着いた。その場にいる人間がそれぞれ抱く、そのあとに控える時間にむけた期待が溶けたざわめきは心地よくて好きだ。600円と引き換えに手に入れたハイネケンは開演前に余裕で飲み終わってしまったけど、仕事終わりにライブハウスに来て酒を飲める人生なら、会社員になったのも悪くなかったなとか思っていた。べつにアルコールがことさらに好きなわけではなくて、ただ、音楽を楽しむ空間に、酒という嗜好品があることが大事なのだ。仕事やらなんやらかんやら、自分の意のままにならないものたちのことは、もう考えなくていい時間なのだ、という確信を与えてくれる。楽しむぞ、という私の心を強化してくれる感じがする。

そのうちに照明が落ちて、BGMの音量がぐんとあがった。そこから先、もうとっくに記憶がない。初っ端から怒涛のように降ってくるタイトル曲に体を揺らしてるうちに全部どうでもよくなっちゃって、なんか、なんだっけ、もうとにかく、はちゃめちゃに楽しかったんだ。

はじまる直前、友人に言われた「音源よりうまいから!」の言葉はほんとうにそのとおりで、生の歌声がこんなにも「良い」ものであることは知っていたつもりだったのに、なんだか長いこと忘れていたような気がした。それくらい、生身の彼らのパフォーマンスは圧倒的で、あんまりに楽しくて、終演してから明日も行く、と友人に宣言した。行けないはずだったのだけど、行かないという選択肢はもうあるはずもなかった。会社の予定をなかったことにして、結局水曜の18時も、同じように渋谷にいた。

ああそうだ、ライブってこういうものだったな。だから私、ライブが好きなんだよな。生活にかまけて忘れかけていたものを、彼らはいとも簡単に蘇らせた。乾いていたのだ、と初めてはっきりと自覚した。音楽って、音を楽しむものだって、文字通りのシンプルな意味だった。彼らのパフォーマンスは、そのことをよくわかっている人たちのそれだったと思う。

もっと書きたかったことはいろいろあるんだ。ただでさえそう広くはない舞台がともすれば小さすぎると思うほどに、ひらりと身を翻すテホくんの踊り方が、とんでもなく好きだったこと。ウンジェのメンバーに向ける視線の柔らかさ。ジェオプの歌に対する矜持がびりびりと伝わってきたこと、ゆるぎのない信頼を示してくれる人だと思ったこと。重量感と疾走感に満ちた、生の良さを存分に活かしたラップをするジアンくん。サンくんが暗転したあとにくるりとターンしていたこと。LollipopとTension Upで息が切れるほど飛び跳ねたこと。サンくんのソロは、私が好きになった曲をアレンジしたものだった。そのことに私は気付かなくて、ただ舞台の真ん中で冷たい光を放つスタンドマイクにもしかして彼だろうか、でもまだジェオプのソロも残っているし、と期待していいのかわからないまま突っ立っていたのだけど、それまでほかの子の隣にいた友人が、すすすといたずらっぽい顔で私のそばに寄ってきて、それでああ彼が来るんだってわかったらばかみたいに鼓動が早まったこと。サンくんの宙に伸びた指先が綺麗だったこと。曲を終えて、こっちはまっすぐ立っていられないくらいに心を奪われてるっていうのに、当の本人はあっけらかんとして、「ありがとうございました~」と余韻を断ち切るように飾らない口調で礼を残して舞台から消えていったこと。サンくん、サンくん。初めてのライブだし、楽しむぞ、くらいの心づもりでいたのに、気づけばサンくんばかり目で追っていたこと。刹那を追うごとに見せる表情が、歌う声が、笑い方が、ぜんぶ新鮮で、なんにも知らないのに、なんにも知らないから好きで、それがすごく幸せで楽しかったこと。ウンジェが言っていた、お金を稼ぎたいとかより、自分の音楽で幸せになるひとがひとりでもいればいいんだって言葉に、ほんとうは大声でここにいるよって叫びたかったこと。私は、まだ彼らのことを何もしらなくて、でも、それでも確かに彼らの紡ぐ音で幸せをもらった人間のひとりだった。

水曜の終演後は次のライブの予定がないことにけっこうどんよりしていたが、ちょうど1週間が経った昨日、5月にライブがあると発表があった。このときよりも今の方がずっと好きで、好きな曲も増えた。絶対たのしいに決まっているから、今から楽しみにしている。

 

190311

あの日から8年、とかいって、先週は特集を見ては毎朝泣いていたのに、今日になってみたらあっさりと2時46分は過ぎていった。その瞬間だけ、パソコンのキーボードを打つ手を止めて、目を閉じて祈ってみた。あたりは、その前までと寸分たがわず仕事の話でざわついていた。誰も思い出していないみたいだった。祈ることに意味があるのかはわからない。祈るよりも、目の前の仕事をすこしでも進めることのほうが大事なのかもしれない。祈りを祈りで終わらせないだけの強さがほしいと思い続けて、8年も経ってしまった。普段はつかわないYahooの検索窓に3.11とだけ打ち込む。どこかの校舎の時計の針が津波の来た時間のまま錆ついて、時を刻むことを忘れてしまった絵がふっと瞼の裏に浮かんではすぐに消える。

津波の映像そのものも怖いけれど、津波の映像が流れるときに表示される「津波の映像が流れます」というテロップのほうが、私には怖い。そういう表示をしなくちゃいけないほど、忘れたくても消えてくれない瞬間を焼き付けられてしまった人たちがたくさんいることが、ただ痛くてたまらない。もう、仮設住宅に住んでいた人も追い出されるのだとニュースでやっていた。それを見ながら悔しくて泣いた。その悔しさをどこにぶつければいいのかわからないのに、私の話でもないのに、痛かった。大きな理不尽の前に、どうしようもできないことが悔しい。理不尽だ。なにもかも理不尽だ。ただふつうに暮らしていただけの人たちが、突然波に全部生活を攫われてしまうことも、生き延びた先で心無い言葉を浴びせられることも、戻りたくても戻れない故郷に焦がれることも、全部理不尽で残酷だ。神様なんか、信じてられるかよ、と思う。むしろ、信じたいのかもしれない。だってそうじゃなきゃ誰を憎めばいいのかわからない。

美容院にいて、生乾きの髪の毛のままショッピングモールの駐車場で震えていたこと。風邪をひかないようにと自分のパーカーを貸してくれた美容師さん。携帯電話は美容院の貴重品入れに残したままで、このまま人混みに飲まれて母親と会えなかったらどうしようと不安だったこと。花粉混じりの乾いた空気と不気味なくらい黄色い空。やっべえ、アトラクションみたいで楽しかったんだけど!と強がっていた少年。父親が帰ってこられなかった夜。混雑する道を母親と車に乗って迎えに行って、父親が電車でたまたま会話したら近所だったからと、見知らぬ人も一緒に乗せて帰ったこと。電気を使わないようにと蝋燭で過ごした夜。電気の消えた街。日に日に目の下の隈が濃くなっていく首相。ツイッターにあふれかえる救援物資や救助を求める声、被害を伝える言葉、励ましの言葉、それをリツイートする幾万もの善意。流れていく情報、情報、情報。はじめは非日常にどこか興奮めいたものを覚えていたのに、事の大きさがわかるにつれて一瞬でもそんなものを感じた自分に対する罪悪感で潰れそうになったこと。ニュースを見たくない、と泣いて母にテレビを消してもらったこと。さも当然のことのように被災地にボランティアに参加しに行った同級生たち、偽善になりやしないかと足がすくんで踏み出せなかった私。いまだに何もできなかったことに対する罪悪感があって、でもこれだって奢りなんじゃないかと思っている。善と偽善の違いについて。放射線量を示す虹色の地図。黒煙をもくもくと吐いて燃える石油コンビナートの映像。黒い雨が降る、なんて根も葉もないチェーンメールが高校の部活のメーリングリストで後輩からまわってきて、そんなものに騙されるなと怒ったこと。何が正しいのか、誰も見えなくなってしまった世界。そう、あの頃はラインなんかなかったのだ。8年前の世界を、私はもう忘れ始めている。ポスト3.11の時代を生きる私たち。時がたつにつれてだんだんと24時間テレビみたいな感動ポルノっぽさを滲ませるようになっていった震災報道。きれいな話に仕立て上げられるようになるのに、8年という時間はじゅうぶんらしい。

ほんとうは、こんなふうに言葉に残すのもずっと躊躇っていた。私の言葉もまた、美しいものに見せかけるだけの自己満足になるんじゃないかと思っていたから、書けなかった。だけど、確実に忘れている。忘れたっていいのかもしれない。でも、なかったことにはできない。あのとき感じた痛みも、今感じている痛みも、消すことはできない。だから書く。

8年という時間について、ちゃんと考えたことはあっただろうか。世界の理不尽さに打ち勝つことはできなくても、すこしでもあらがうために、私は何ができるだろう。痛い。

190308

2年ぶりくらいに、学生時代の後輩に会った。けっして関わりが深かったわけでもなくて、でも誰よりも色んな話を聞いてもらった相手だ。口数が多いわけじゃないけれどぽつりぽつりと話す彼に引っ張り出されるように、やっぱりこの日も気がついたらいろいろな話をしていた。後半は酔いがまわってあまり覚えていないけれど、居心地は良かった。短いあいだだけ惹かれていたはずの相手に、あの頃と同じ胸騒ぎを感じることはもうなくて、だけどあいかわらず顔がめちゃくちゃ好きだった。

Kさんの仕事のモチベーションって、なんですか。そう問われて、お金が理由でなにかをあきらめたくないのだと答えたら、もっと短期的な、たとえばその日いちにちを乗り切る燃料はありますかともう一度尋ねられた。彼は、仕事が楽しいのだと言った。俺は、資本主義なんで。競争が好きだし、評価されるのが楽しいし。でも、Kさんってそういうのなさそうだから、なんでなのかなと思って。答えに窮した。わかんなかった。ずっと考えないようにしてきたことをずばりと突かれた気がして、焦った。

ずっと仕事は手段だと割り切るようにしてきた。私の愛するものは会社の外にあって、自分の持てる限りで愛するためにはお金が必要で、だからお金を稼ぐために自分の体を切り売ることに納得しようとしていた。前のプロジェクトのときはそれで良かった。得る金額のために費やされた8時間やそこらは、相応のものだと思っていた。愛するものを愛するだけの力も残っていた。その8時間がいくら退屈だったところで、その外にある時間のことを考えたらなんでもなかった。渡韓8回、参戦数34公演。楽しかった。

だけど、今のプロジェクトになってから完全にそっちに回す体力がなくなってしまった。死ぬのをやめたからには仕事にもうすこし真摯に向き合うことにしようと決めて選んだ道だったはずだけど、今が惰性じゃなくてなんだっていうんだろう。趣味にまわす体力もなくて、じゃあ毎日10時間もかけてしんどい思いをして稼いでいるお金は、なんなんだろう。答えられない。新しいことを知るのは嫌いじゃない。やらなくちゃいけないことがたくさんあるのも、まあ嫌いじゃない。必要とされているんだと思えるから。でも、そういうの全部、弱い。それらは、働くことで得られる副産物ではあるけど、働く原動力ではない。働く意味はそこにはない。ないのに、毎日9時に会社に行って、一日の半分も無心でやらなくちゃいけないことばっかり片付けている。考えることをやめるのがうまくなったなと思う。こうなりたくはなかったのに。

大学院に挫折したときに、働く意欲をくれたのはセブンティーンだった。ライブに行きたいから就活するんだって張り切って、そこからずっと、ずっと、彼らの光を頼りにここまで歩いてきた。彼らがくれるものを受け取るとき、生きていると思ったし、生きていきたいと思った。だから、その光に触れるためのことならなんでもした。去年の話だ。今年は、結局日本ツアーもチケットはひとつも取らなかった。ちょうど今週末にソウルであったファンミーティングも、チケットはとったけどどうしても元気がでなくて結局ほかの人に譲った。アルバムも発売してから1ヶ月くらい経つまで買わなかった。たぶん、前ほど彼らが必要じゃなくなってきているということなんだろう。私はもう歩いていけるようになった。それでも、失いかけていることが怖い。自分が拠り所にしてきたはずのものを失いかけているのが怖い。好きでもない仕事にしか縋り付くことができない。うちの会社にワーカホリックが多いのはそういうことかもしれない。

会社の外にあるものに目を向ける余裕のない今の私には、彼の問いかけはすなわちなぜ生きているのか、に他ならなかった。答えられない。答えられなくてぐるぐるしている。

女 #1

自分のことをフェミニストであると認識したのは、ごく最近のことだ。それまでは、自覚せずとも生きていける世界にいた。「私」であるよりも前に「女」として見られることは、私の生きてきた世界ではあたりまえではなかった。だけど、一歩ユートピアの外に出てみてよくわかった。名前を持つ、ほかの誰とも違う唯一無二の存在としての個人であるよりもまえに、私が彼らの目には「女」として映る、ということを。

ここ最近、自分が他者の目には紛れもなく「女」として映っていることを思い知る機会が幾度か立て続けにあって、どうしても割り切れない気持ちがあって書いてみる。The personal is political(個人的なことは政治的なこと)というのはフェミニズムを語るうえで欠かせないフレーズだけれど、これは社会がどうとか日本がどうとか世界がどうとかみたいなマクロの話なんかじゃなくて、私の話であり、私が毎日顔を合わせる上司や同僚の話であるのだ、というのを身をもって実感している。


3週間ほど前、髪を染めた。なんとなく鬱屈していた日々が続いていたのを取っ払いたくて、思い切って金に近いところまで脱色して、そこにグレーを入れてもらった。染めたのは2年ぶりで、この行為は思った以上に自分の中にポジティブな変化をもたらすことになったので、この話はまたどこかで書きたい。とにかく、光に透かすときらきらと光るのがすごく気に入って嬉しかったのだけど、それなりの規模の企業に勤める身にしてはちょっと冒険しすぎただろうかと少し不安もあった。ところが、翌日出社したら、会社の人には案外何も言われなかった。ほっとしたけれど、ちょっぴりさみしいような気持ちにもなった。

髪、染めたんですね、と声をかけてくれた数少ない人間のひとりが、同じチームの同僚だった。同じチームとはいえ、普段あまり関わりがある相手ではなかったのだけど、良いですねと続けられた言葉がお世辞をいっているようには感じなかったから、私も嬉しくて素直にありがとうございますと言った。でも、その直後、その同僚の横に座っていたマネージャーが、「Aさん、だめだよ、そういうのはセクハラになっちゃうから」と茶化した。同僚は「え~、今のもだめですか?」と困ったような顔をして、それからすみません、と私に謝った。悲しくなった。今の、だめじゃないです、ぜんぜん。そう思った。なんでですか、嬉しかったですよと慌ててフォローしたものの、軽薄な冗談のようにしか聞こえなかった気がして、今もやっぱり悔しい。

その同僚と、偶然社内の売店で会ったことがある。その時、チョコレートとマフィンを手にしていた私を見て、「太っちゃわないですか?」と無邪気に尋ねた彼は、すぐに口元を引き締めて、ごめん、こういうのもセクハラになっちゃいますよねとまた謝った。たしかにちょっとデリカシーのない問いかけだな、とは思った。その問いの裏には、たぶん「女性は太ることを気にする生き物だ」みたいな性別二元論に基づいたステレオタイプだとか、あるいは「太らないほうが良い」みたいなルッキズム的価値観があるんじゃないかと感じたから(たぶん彼は自覚していないだろうけれど)、良い気持ちはしなかった。だけど、そこに悪意がないことも明白だった。どんなコミュニケーションであれ、そのつもりがなかった、は傷つける側の言い訳としてはゆるされないものだと思うけれど、すくなくとも彼が私と会話の糸口を見つけようとしてくれたことも、私を不愉快にさせるつもりがなかったことも私は感じたから、真摯なひとだなとも思った。あとから、彼がずっと運動を続けてきた人であること、最近は筋トレにハマっていることを知って、あの問いにはきっとその文脈もあったんだろうなと思って腑に落ちたところもあった。

数日後、たまたま帰宅のタイミングが重なって、その同僚と途中まで一緒に帰った。そのときにも彼は、私の髪をほめたことをマネージャーにセクハラといわれたことを気にしていて、ごめんね、俺、考えの足りないところがあるからと弁解するような口ぶりをしていた。何を言えばいいかわかんなくなっちゃいますね、天気の話くらいしかできなくなっちゃうなあというつぶやきに、そうですよね、と私も同意した。セクハラ、という言葉が、男と女の分断を明確にしているように感じて、すごく嫌だった。私は女で、彼は男で、そこに埋められない溝みたいなものがあるのだと、やけに力を持ったカタカナ4文字が声高に主張しすぎたせいで、私たちの会話がこんなにも腫れ物を扱うような、均衡を失ったぎこちないものになってしまうのが悲しかった。たしかに、太っちゃわないですか?の問いかけはいささか軽率だったし、そういうので彼がいうところの「考えの足りなさ」に頷けなくもなかったけれど、でも、髪色を褒めてくれたことは、私は嬉しかったのだ。ほんとうに嬉しかったのだ。何をいえばいいかわかんなくなっちゃいますねが、男性の発言を抑圧する女性に対する不満、というようなニュアンスじゃなくて、純粋にどう会話すればいいのかわからないことにもどかしさを感じているような素朴なぼやきに聞こえたのは、私が彼を好意的に解釈しすぎているから、なのかもしれないけど。

何度も何度もこの出来事を反芻しながら、「そういうのはセクハラになっちゃうから」、という言葉を、私は絶対にゆるさない、と思った。たしかに他者の容姿だなんて、わざわざ言及する必要もない事柄だ。とくに、仕事の付き合いだけの相手であればなおさら。それでも、「これを言ったらセクハラになる」みたいなのはあまりに短絡的だ。思考放棄だ。自分はセクハラに気を使ってますよ、人権意識ありますよとアピールしたいのか知らないけれど、それなら逆効果だ。そんなのはぜんぜん、気を遣えていることにならない。女性はこれを言ったらセクハラだと感じる、だなんて浅慮な正解に甘んじようとすること自体、目の前の「私」を蔑ろにする行為だ。私に向き合わずに「女」として雑にくくって扱うことの方がよっぽど侮辱だ。染めたんですね、良いと思いますという彼の言葉を、私は嬉しいと思った。ほかの女性が同じことを言われてどう思うかは、私は知らない。知ったこっちゃない。だってその人と私は違う人間なんだから。髪色を変えたことを指摘されてセクハラだと思う人もいるだろうし、思わない人もいる。それだけの話なのに、どうして男と女の話にされちゃうんだろうか。悔しい。

私はフェミニストだ。でも、「女性の」権利を勝ち取ることを目的に声をあげるわけじゃない。これまでの男性優遇社会を精算するための女性優遇社会を正当化したりもしない。ただ、性別なんて概念が古くてダサいのだと、個人を説明するうえでまったく不必要なんだと信じているだけだ。男だからとか女だからだとかのたまう社会なんか平成と一緒に終わってくれ、どうか、どうか。私はフェミニストだ。でもそれは、私が女だからではない。フェミニズムは女の戦いじゃない、私の戦いで、「セクハラ」に言葉を封じられてしまう彼の戦いでもあるべきだと思う。女としての私ではなく、人間としての私を見ろ、と叫びたい気持ちをひとつずつ言葉にしていく。#1とタイトルにつけたのは、2も3も4もあるからだ。世界、ちょっとずつでも変われよと願いながら書く。